【土井正己のMove the World】自工会会長バトンリレー、産業技術記念館より「LEADERS」を想う

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産業技術記念館
  • 産業技術記念館
  • 原動機付自転車の展示 産業技術記念館
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  • エンジンブロックの展示 産業技術記念館
  • 織機の展示 産業技術記念館

レスポンスの読者だと3月に放送されたTVドラマ「LEADERS リーダーズ」をご覧になった方は多いのではないだろうか。実名は使われていないが、豊田喜一郎がどのようにして国産の自動車産業を興したかというストーリーだ。

22日、23日の2夜連続の放送だったが、佐藤浩市や香川照之の言葉の一言、一言に現実味があり、元社員でさえも完璧に時間を忘れて見入ってしまった。特に、最後の葬式の場面で橋爪功が、佐藤浩市の写真を見ながら弔辞を述べるシーンは見事だった。

「君は言っていましたね。もし、無限の動力があるとすれば、それは人間が情熱を燃やし続けて、努力を続けることではないだろうか。そして、次の世代へと困難に挑む熱情が受け継がれていくことが、無限の力だと、熱く、熱く語ってくれました…」あのシーンは多くの人に感動を与えてくれたと思う。どの世界においても「困難に挑む情熱」こそ、「LEADERS」に求められる素養なのであろう。

◆「LEADERS」をさらに知りたければ「産業技術記念館」

さて、そのモノづくりの「困難に挑む熱情」を次の世代に伝えることを目的につくられたのが、名古屋駅近くにある「産業技術記念館」だ。先日、TVドラマを見た後、改めてここを訪れた。この博物館には、豊田佐吉が発明した自動織機や豊田喜一郎(佐吉の長男)が始めた自動車製造の様子が展示されている。1994年の設立だが、訪れるたびに進化している。

ドラマの中にも出てきた二輪の原動機付自転車(豊田喜一郎はクルマをつくる準備として原動機付自転車をつくっていた)や何度も失敗を続け、ついに完成するエンジンブロックの製造工程(鋳造)などの実演も見ることができる。ドラマでは、エンジンブロックの鋳造で使う中子(砂型)が上手く作れず、時には火を噴くシーンなどもあったが、そうした当時の苦労が細かく解説されている。また、ボデーは、プレス機を使わず、まず、木工彫刻で外形をデザインし、その形に合わせて手打ちの板金でフォルムを表現していた様子なども、実車(木工レプリカ)や人形を用い展示されている。

そして、1936年に国産第一号乗用車として完成する「AA型」のレプリカも見ることができる。80年前のものだが、今見ても美しいフォルムだ。フロントグリルのデザインには、最近のトヨタ車やレクサス車に見られる力強い押出しがあり、これらの原点を気づかせてくれる。

「産業技術記念館」の前半部分は、織機の歴史が展示されている。「発明王」と言われた豊田佐吉が「生産効率の向上」、「品質の向上」、「作業者の健康や環境の向上」に腐心し、発明を続けた。ほとんどが、動力を使わない「カラクリ」によるものだ。トヨタはこれらの特許を世界に売り、そのパテント料で国内の自動車産業を興した。人間の知恵と工夫、そしてドラマでも語られた情熱が、日本の自動車産業を大きくしていったわけである。

◆「震災」「超円高」…苦難に立ち向かった「LEADERS」

しかし、日本の自動車産業は2009年のリーマンショック以降の未曽有の円高や東日本大震災によるサプライチェーン被災などにより、非常に厳しい時期が続いた。こうした中で、自動車各社が、協力しあって日本の「モノづくり」を守ろうと努力してきた。その中核にあったのが「日本自動車工業会(自工会)」である。

震災の大混乱の中、自工会がメーカーの垣根を越え、東北復興支援に取組んだ。その間、会長職は、日産の志賀俊之COO・代表取締役(当時)からトヨタ自動車の豊田章男社長と引き継がれた。これらの苦難を乗り越える場面では、やはり沢山の「LEADERS」がいた。

自工会の中でも、常任の副会長として奔走された名尾良泰副会長・ 専務理事(本年5月に退任)のご苦労は多大なものだったと思う。また、円高でも採算を確保すべく原価低減に取り組んだ技術者や技能者がいたからこそ、現在の日本の自動車産業は息を吹き返したのだと思う。そして、今月、自工会会長職のバトンは、ホンダの池史彦会長に引き継がれた。

◆ 明日の「LEADERS」は

TVドラマ「LEADERS リーダーズ」は、いろんなことを語ってくれた。情熱を持ち苦難に挑み続ける「経営者」とそれを支える現場の 「LEADERS」がいなければ歴史はつくれないということだ。こうして、幾人もの「LEADERS」の情熱で育てられた日本の自動車産業。世界1位(ブランド合計の国別販売台数)の座は、震災や超円高を乗越え、さらに強固なものとなった。

こうした思いにふけりながら「産業技術記念館」を歩いていると「あなた達もその歴史の上に乗っているのだから、次のページをつくるのですよ」と自分たちに語りかけられたように感じた。

<土井正己 プロフィール>
クレアブ・ギャビン・アンダーソン副社長。2013年末まで、トヨタ自動車に31年間勤務。主に広報分野、グローバル・マーケティング(宣伝)分野、海外営業分野で活躍。2000年から2004年までチェコのプラハに駐在。帰国後、グローバル・コミュニケーション室長、広報部担当部長を歴任。2010年のトヨタのグローバル品質問題や2011年の震災対応などいくつもの危機を対応。2014年より、グローバル・コミュニケーションを専門とする国際コンサルティング・ファームであるクレアブ・ギャビン・アンダーソンで、政府や企業のコンサルタント業務に従事。

《土井 正己》

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