【池原照雄の単眼複眼】産業技術記念館と豊田英二さん

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豊田英二 特別企画展
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グループ発祥の地で企画展

トヨタグループ16社で運営するモノづくりのミュージアムである産業技術記念館(名古屋市西区)で11月26日から「豊田英二特別企画展『はじめたもの、受け継ぐもの』」が始まった(12月25日まで、無料)。今年9月17日に亡くなった豊田英二さんの回顧展だが、モノづくりに全霊を傾けた同氏を振り返るにもっともふさわしい会場での開催となっている。

産業技術記念館は、グループの創始者である豊田佐吉が織機の研究のために明治末期に設立した試験工場のあった場所にある。豊田自動織機やトヨタ自動車のルーツ企業であった豊田紡織が本社を構えた地でもあり、その本社事務所や煉瓦づくりの工場など国が「近代化産業遺産」に認定した歴史的な建造物も多く保存されている。

産業技術記念館が開設されたのは1994(平成6)年6月であり、トヨタの創業者である豊田喜一郎の生誕100周年を記念して設置した。繊維機械と自動車の技術の変遷を中心とした産業技術史を、次代を担う人に伝えたいというのが設立の趣旨だった。

若い人にモノづくりの楽しさを伝えたい

開設時から約5年間、記念館の初代館長を務めたトヨタOBの齋藤謹吾さん(74)によると、トヨタグループが設置構想を固めたのは89年だったという。日本がバブル経済のピークに浮かれていた時代。「理工系の学生には製造業に目を向けず、金融機関に就職する人も多かった。当時の英二会長は危機感を抱かれ、『若い人にモノづくりの楽しさを伝えなければならない』と、記念館を構想し、章一郎社長(現名誉会長)も全面的に賛成された」(齋藤さん)のが経緯だという。

最近、資料を整理していた際、新聞社務めをしていたこの年(94年)の取材メモの一部が出てきた。当時のメモは全て処分済みだったので、いぶかってめくると、何と英二さん(当時名誉会長)への取材が記されていた。保存していたのはそのためだろう。テーマは産業技術記念館ではなく、戦後50年となる翌95年の企画記事として『カローラ』(66年発売)の誕生を取り上げるためだった。

当時としては国内最大の乗用車工場である高岡工場(豊田市)の新設など、日本のモータリーゼーションを切り拓くことになる一大プロジェクトを指揮したのは英二さんだった。カローラの名付け親でもある。英語で「花冠」を意味する「Corolla」の発音はコローラ。メモによると「語感が良い『カローラ』にした」。それでも「最初は社内でもコローラという奴が多くてね」と、笑顔で語っておられたのを思い出した。

奢らず、常に前を向いて進む姿勢

さらに「設計も工場もすべてリンクして新しくやったのがうまくカミ合った。正直これだけのクルマになるとは思わなかったよ。運がよかったんだね」とある。勝っても奢らず、常に「前を向いて進もう」という英二さんの一貫した姿勢が行間に埋もれていた。

さて、初代館長の齋藤さんは80年代に広報部に在籍していたこともあり、当時の自動車担当記者からは「キンゴさん」と親しまれた方だ。OBとなった今もトヨタの歴史を調査・研究されており、これほど精通した人は他に知らない。その齋藤さんは「100歳の天寿をまっとうされた豊田英二最高顧問の特別企画展が産業技術記念館で開催されるのは、感慨もひとしお。最高顧問の気持ちが、若い人たちに伝わるイベントになるよう期待したい」と話してくれた。

《池原照雄》

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