【池原照雄の単眼複眼】トヨタ、賞賛なき「世界一」

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日本の産業界の慶事

2008年の世界新車販売で、トヨタ自動車が初の首位に立った。しかし、未曾有の「自動車危機」で、同社の09年3月期が営業赤字に転落することもあり、マスメディアでの「賞賛」の論調は皆無に近い。

そればかりか、今回の危機への対応が後手に回ったなど、後講釈による経営批判も少なくない。世界でもっとも多く自動車ユーザーの支持を得た企業が日本から出たことは日本の産業界の慶事であり、大いなる快挙である。

08年の世界販売台数(連結ベース)はトヨタの897万2000台(前年比4%減)に対し、米GM(ゼネラルモーターズ)は835万6000台(11%減)。トヨタは07年の世界生産台数に続いてGMをとらえた。GMは設立100周年という節目に1931年から77年にわたって続けてきた首位の座を明け渡した。

◆「万年3位」を変えた経営トップ

トヨタがトヨタ自動車工業として設立されたのは1937年なので、その時点でGMはすでに世界の頂点に君臨していた。「自動車を大衆のもとに」と創業した豊田喜一郎氏が、果たしてこうした時代の到来を描いていただろうか。

GMの存在は余りにも巨大であり、筆者もつい10年前ですらトヨタの世界一を想像することはなかった(GMとの差はまだ300万台程度もあった)。1990年代半ばには万年3位の座に甘んじていたトヨタを短期間で変えたのは、95年に社長に就任した奥田碩取締役相談役以来、3人の経営トップの手腕に負うところ大である。

世界トップへの布石となった95年以来の主なトピックを挙げると、次のようになる。

◇ハイブリッド車『プリウス』の投入(97年)
◇世界で企業理念を共有するための「トヨタウェイ」の制定(2001年)
◇中国への本格進出(02年)
◇技能移転を集中的に行うGPC(グローバル生産推進センター)の開設(03年)
◇新興市場向け専用車『IMV』の投入(04年)
◇生産性を大幅に高めた高岡工場(豊田市)「革新ライン」の稼動(07年)

◆磐石な体質へ絶好のチャンス

現下のトヨタは、とても世界一を喜んでいられる状況にはない。赤字の止血が最優先だが、見方を変えれば、世界市場は例外なき同時崩落に陥っているのだから、トップ企業のダメージが大きくなるのは当然でもある。

今世紀に入って年率50万台規模のペースで急成長するうちに内在してきた種々の歪を是正する絶好のチャンスが訪れたと見ることもできる。GMにもかつては、そうした一大転機があった。

1970年代の2度の石油ショックに端を発したエネルギー制約だったが、この転機を磐石な体質づくりへと生かすことはできなかった。当時のGMは、いまのトヨタと同じ設立から70年くらいの企業だった。設立100周年での凋落は、およそ30年前から始まっていた。トヨタにも「1世紀」の節目をどう迎えるかの転機が、いままさに訪れている。

《池原照雄》

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