2 | エンツォに認められた日本人 |
ストーリーを進める上で、平松潤一郎について紹介しなければならない。1980年代初頭、平松はたびたびフェラーリ社を訪れ、その際幸運にもエンツォ・フェラーリと会うことが出来た。
エンツォは平松氏のフェラーリに対する熱意と知識に驚き、以来親交を重ね、エンツォが亡くなる数か月前には、「平松に」と記されたサイン入りの著書も贈られている。親交を許された数少ない顧客のひとりなのである。
その後も平松は精力的にコレクションを充実させ、エンツォ愛用の有名な紫インクの万年筆や記念のメダル類からトロフィなど貴重な品々を所有している。レース出場のためクルマのスペックを申請するホモロゲーション・ペーパーはフェラーリ社から譲渡の依頼が度々あったという代物だそうだ。
平松は少年のころからクルマが大好きで、カーデザイナーを志しデザイン画に専念したことがあった。しかし家業を継ぐ道を選びビジネスに専念し、フェラーリの素晴らしさを知った後は買う側にまわったのであった。ビンテージ・フェラーリの代表である『250GT SWB』、『275GTB4』、モダン・フェラーリでは『F40』、『F50』、『エンツォ・フェラーリ』など、記念限定車も含め選りすぐりの9台をすでに所有している。
そうした平松を今のフェラーリの総帥であるモンテゼモロ会長もVIPとして手厚くもてなしているのである。
-- 続く -- フェラーリによる正式な認可