5日、東京都江戸川区のデザイン専門学校TCA(東京コミュニケーションアート)において、日産自動車の中村史郎デザイン本部長兼常務取締役が特別講義を行なった。講義は学生の質問に中村本部長が答える形で進行した。どんな学生だったかときかれ、美大時代の中村本部長は部活のジャズに精を出していたと答えた。
中村:当時、東京の国立市に住んでまして、付近のライブハウスでベースをひいていました。70年代前半の日本では言ってみれば音楽のレベルが低く、プロもアマも一緒に演奏していたんです。実力があればキャリアや年齢に関係なく採用される、つまり「実力評価」というものを学びました。
学生:プロのミュージシャンになろうとは思わなかったのですか。
中村:うーん、それは……、思いました(笑)。国立には音大があってそこの学生たちと一緒に演奏するんですが、そういう連中がプロになっていくと「俺も……」とは考えますよ。しかし結局、志望は変えずデザイナーになりました。
デザイナーにならなかったら今頃どこかでベースをひいていたでしょうね。それとデザイナーをクビになってもベースで食っていくぞという、開き直りみたいな気持ちもできました。