【都会の廃線をたどる】わずかに曲がる道路が駅の名残か…目黒蒲田電鉄奥沢線 7枚目の写真・画像

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世田谷区の東玉川から大田区の雪谷方向を望む。写真の左側が奥沢線の線路跡地だが、今はごく普通の住宅が立ち並んでおり、鉄路の名残を見つけ出すのは難しい。
《撮影 草町義和》 世田谷区の東玉川から大田区の雪谷方向を望む。写真の左側が奥沢線の線路跡地だが、今はごく普通の住宅が立ち並んでおり、鉄路の名残を見つけ出すのは難しい。
奥沢線の起点だった池上線の雪ヶ谷駅は、後に改称されて現在の雪が谷大塚駅になっている。写真の左側を奥沢線の線路が通っていた。
《撮影 草町義和》 奥沢線の起点だった池上線の雪ヶ谷駅は、後に改称されて現在の雪が谷大塚駅になっている。写真の左側を奥沢線の線路が通っていた。
雪が谷大塚駅のホームから五反田方の線路を望む。奥沢線が開業した頃の雪ヶ谷駅は、現在の雪が谷大塚駅から五反田方へ約100m(写真中央の踏切あたり)のところにあり、奥沢線と池上線の分岐点も写真の左下あたりに設けられていた。
《撮影 草町義和》 雪が谷大塚駅のホームから五反田方の線路を望む。奥沢線が開業した頃の雪ヶ谷駅は、現在の雪が谷大塚駅から五反田方へ約100m(写真中央の踏切あたり)のところにあり、奥沢線と池上線の分岐点も写真の左下あたりに設けられていた。
奥沢線が雪ヶ谷駅を離れてカーブしていた地点。後の区画整理で線路跡は消失している。
《撮影 草町義和》 奥沢線が雪ヶ谷駅を離れてカーブしていた地点。後の区画整理で線路跡は消失している。
調布女学校の南東側にあった諏訪分駅跡(右)。ここも住宅に飲み込まれている。
《撮影 草町義和》 調布女学校の南東側にあった諏訪分駅跡(右)。ここも住宅に飲み込まれている。
諏訪分駅の新奥沢方から駅跡地(左)を望む。駅に沿って延びていた道路がわずかに曲がっているのは、ホームなど線路沿いの駅施設を避けたためだろうか。
《撮影 草町義和》 諏訪分駅の新奥沢方から駅跡地(左)を望む。駅に沿って延びていた道路がわずかに曲がっているのは、ホームなど線路沿いの駅施設を避けたためだろうか。
諏訪分駅付近の地図。駅沿いの道路はホームがあったと思われる場所を避けるようにして、駅の外側(南西側)に膨らんでいるのが分かる。
《作成 草町義和》 諏訪分駅付近の地図。駅沿いの道路はホームがあったと思われる場所を避けるようにして、駅の外側(南西側)に膨らんでいるのが分かる。

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