夏の怪談シリーズ。なんか変です。。。
真夏の蒸し暑い夜。Mさんは仕事帰りに郊外を車で走っていた。山あいの県道。夜も遅く、対向車もまばらだった。冷房の効いた車内で、Mさんは気だるさと眠気にあらがいながらハンドルを握っていた。
不意に、カーナビが「次の交差点を左です」と告げた。ナビの案内通りに進んだはずだった。けれど。
見覚えのあるカーブ、街灯、ガードレール。そして小さな橋。「あれ?」と思うまもなく、ナビが再び指示を出す。「次の交差点を右です」。妙だな、と思いながらもナビに従う。しかし、走っても走っても、景色は先ほどと同じ。まるで円を描くように、同じ場所に戻ってくる。
ナビを切ってみた。自分の記憶を頼りに道を選ぶ。が、やはり戻ってくる。何かがおかしい。焦りが額に汗をにじませ、自分一人の車内に息遣いが荒く響く。もう一度だけ、と深呼吸して別の道を選ぶ。橋を渡らない、左折ではなく右折。それでも……。
暗がりに浮かぶ木の影、ちらつく外灯、そしてあのガードレール。また、ここだ。ぞくり、と背筋を冷たいものが這った。これは道に迷っているのではない。「帰れない」のだ。理由もなく、何度も何度も、同じ道を走らされている。
Mさんはついに諦め、道の脇に車を止めた。エンジンを切ると、不気味な静寂が車内を満たした。虫の声すらしない。冷房が止まり、窓を開けても蒸し暑い車内で夜が明けるのを、ただ待つしかなかった。止まっているぶんには何事も起こらなかった。
そして、夜が明けた。あたりが白み始めた頃、Mさんはフロントガラス越しの風景に息を呑んだ。車は、古びた屋敷の前に停まっていた。今にも崩れそうな木造建築。剥がれ落ちた壁、苔むした瓦、絡みつく蔦。庭には、伸び放題の草木と、倒れて砕けた石灯籠。
それらは「人の気配が消えて久しい」ことを物語っていた。Mさんは、この場所に来た記憶はない。こんな建物を見たこともない。まるで誰かに連れてこられたようだった。不気味な感覚を抱えながら車を発進させると、カーナビは素直にMさんを自分の家へと導いた。
なぜ自分は戻ってこられたのか? Mさんは思った。「車を止めた」からだ。あのまま走り続けていたら、夜が明けても、永遠に同じ道をさまよっていたかもしれない。あるいは、もっと遠いどこかへ、戻れない場所まで行ってしまったかもしれない。Mさんはカーナビの履歴を消去した。
あの屋敷は、本当に存在していたのか? 誰かが、それとも“何か”がそこにいたのか? あの夜、道は歪んでいたのだ。Mさんを屋敷へ導くために。
Mさんは無事に戻ってこられたが、ただひとつ、妙なことが起きるようになった。毎年、あの夜と同じ日に、Mさんのカーナビの地図が、必ずアップデートされるのだ。そして目的地が設定される。消去した、あの屋敷の所在地だ。車を乗り換え、スマホのナビアプリを使うようになっても同じだった。設定を切っていても、圏外でも、それが失敗したことは一度もない。
「目的地:XX市XX町XX番地」と。Mさんにその場所へ行く勇気はない。
<編集部注> 元の情報では具体的な住所でしたが、伏せ字にしました。編集部員も行く勇気はありません。