【ホンダ安全チャレンジの最前線】2050年事故死者ゼロへ…脳障害を解析し、歩行者の命を守るエアバッグ

ホンダ:歩行者の脳障害を解析
  • ホンダ:歩行者の脳障害を解析
  • ホンダ安全企画部 高石秀明部長(高ははしご高)
  • ホンダ:脳障害の解析作業
  • ホンダ:高齢女性の側面衝突の解析作業
  • ホンダ:自社開発の歩行者ダミー

ホンダは今年4月に就任した三部敏宏社長が、2050年にホンダ車が関わる交通事故での死亡者をゼロにするという安全目標を掲げた。ホンダ車には二輪車も含むのでハードルは高い。未知の領域でのアプローチを含めた挑戦の現場のリポート後編。

新たな安全コンセプトで「一人ひとり」への技術を重視

ホンダは2019年6月にオランダで開かれた自動車安全の国際技術会議「ESV2019」で、新たな安全コンセプトとして「Caring Safety Technology(ケアリング・セーフティ・テクノロジー)」という指針を公表した。従来の「Safety for Everyone(=すべての人に安全を)」をベースに、さらに掘り下げて取り組むのが新コンセプトであり、「ケアリング」には個々の交通参加者への「思いやり」というメッセージも託している。

安全企画部長である高石秀明氏(高ははしご高)は、新コンセプトの狙いを「一人ひとりのお客様に応えるということを重視していくため」と話す。自動車の安全技術はADAS(先進運転支援システム)などによって日々進化しているものの、高齢化の加速といった社会課題も刻々変化し、安全のニーズは多様化している。そこで、「交通弱者といわれる方々にも注目しながら、二輪、四輪だけでなく歩行者、自転車を含めて一人ひとりに対応する技術の提供」(高石氏)を図っていくこととした。ホンダ安全企画部 高石秀明部長(高ははしご高)ホンダ安全企画部 高石秀明部長(高ははしご高)

そうした技術開発の2つの実例を、本田技術研究所の先進技術研究所(栃木県芳賀町)で取材した。まずは、「歩行者保護のための脳障害低減」の研究。日本の交通事故に関するデータによると、頭部障害による死亡事故では自動車の乗員、歩行者ともに約8割が脳障害に起因しているという。そこで、脳障害の抑制に効果的なエアバッグや、歩行者保護のためにボンネットがもちあがる「ポップアップフード」(ホンダは2008年に実用化)などを開発するには、脳障害のメカニズムの解明が不可欠と、この研究に着手した。

脳の損傷を詳細にシミュレーションできる世界初の成果

担当する本田技術研究所の高橋裕公チーフエンジニアの解説によると、脳内の部位は大脳・小脳と、大脳を支える木の幹のような「脳幹」に大別され、脳幹については呼吸や循環などの中枢機能があるので、その損傷は即死に至るという。一方で大脳と小脳が損傷した場合は、損傷後に脳内の細胞死などによって脳が腫れる「2次損傷」が起こり、最終的には脳幹部分を圧迫して死亡に至ることが多い。脳損傷の死亡事故データからは3分の2程度が、この2次損傷が原因と推定できるそうだ。

研究ではまず、自動車が歩行者をはねる事故の再現を行い、頭部が揺れる加速度などを、コンピューター上の「脳詳細モデル」に入力し、脳の変形を予測する。次いでこの変形予測データから別のモデルによって脳の内圧変化を予測していく。こうした一連のプロセスにより、「どれくらい脳が打たれると、脳障害によって死亡する可能性はどれくらいになるのか、定量的な分析が可能になった」(高橋氏)という。ホンダ:脳障害の解析作業ホンダ:脳障害の解析作業

安全企画部長の高石氏は、交通事故による脳の障害を「2次損傷まで含めて完全にシミュレーションできるのは世界初」と指摘する。こうした研究成果を元に、事故時に歩行者の全身の挙動をコントロールし、頭部の加速度(揺れ)を抑制して脳障害の低減を図るといった歩行者保護エアバッグなどの開発を進めている。

側面衝突で骨の弱い高齢女性を守るエアバッグ

もうひとつの研究例は「側面衝突時の高齢乗員の保護」で、とりわけ高齢の女性を保護する安全技術につなげていく構えだ。側面衝突では、側面に衝突されたクルマ側の乗員のダメージが大きい。そして、この事故では高齢女性の死亡発生率がとくに高くなる特徴があるという。ホンダ:高齢女性の側面衝突の解析作業ホンダ:高齢女性の側面衝突の解析作業 

原因は、高齢になるに連れて骨格の形状が変わり、衝撃への柔軟な対応力が低下するとともに、女性の場合は骨の強度も男性より著しく低下しやすいからだ。研究ではこうした2つの特徴を加味したろっ骨をもつ人体モデルを独自開発し、このモデルを使った衝突シミュレーションなどで胸部の障害を評価している。そのうえで、衝突時の上半身の動きをコントロールし、ろっ骨の骨折を防ぐことができるようなサイドエアバッグや車体構造の開発につなげようとしている。

死亡者ゼロ社会にいち早く取り組みリードする役割

ホンダは安全技術の開発で「リアルワールド」というキーワードを重視してきた。事故で被害者や車両が受けるダメージなどを詳細に掌握しなければ、現実世界の事故への対策も十分にできないという考え方だ。1990年代に歩行者保護を研究する際に、実験用の人体ダミーが世の中に存在しなかった時は自ら歩行者ダミーを開発し、98年に世界初の実用化に漕ぎつけたこともあった。今回の脳障害や高齢女性保護の研究にも、そうしたリアルワールド重視の伝統の息吹が感じられる。ホンダ:自社開発の歩行者ダミーホンダ:自社開発の歩行者ダミー

ホンダは1987年に日本では初の運転席エアバッグを『レジェンド』に搭載した。そのエアバッグの研究に着手したのは、今から50年を遡る71年だった。クルマがぶつかった直後に袋を膨らませて乗員を守るというのは、当時は夢のような技術だった。そこから半世紀を経て「死亡者ゼロ」への新たな挑戦が始まっている。三部社長は「もう少し頑張れば交通事故死亡者ゼロの社会ができる。われわれはその目標にいち早く取り組み、リードしていきたい。それがホンダの役割だ」と、2050年を展望する。

《池原照雄》

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