「北前船で行けたルートがイケてない」タテに動く人やモノをヨコに動かす…4市1社の気概

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JR西日本の舞鶴線と、京都丹後鉄道の宮津線が接続する西舞鶴駅
  • JR西日本の舞鶴線と、京都丹後鉄道の宮津線が接続する西舞鶴駅
  • 日本海縦断観光ルート・プロジェクト発表会(都内、2017年9月25日)に登壇した、新潟市 篠田昭市長、敦賀市 渕上隆信市長、舞鶴市 多々見良三市長、豊岡市 中貝宗治市長、WILLER 村瀬茂高代表取締役
  • 日本海縦断観光ルート・プロジェクト発表会(都内、2017年9月25日)
  • 日本海縦断観光ルート・プロジェクト発表会(都内、2017年9月25日)
  • 北前船の航路とおもな港

新潟市、敦賀市、舞鶴市、豊岡市の4市が、WILLER流のノウハウをもって推し進める「日本海縦断観光ルート・プロジェクト」。9月25日の設立発表会では、「ヨコの連携が重要」と各市関係者が重ねて伝えた。

彼らに共通するキーワードは「北前船」。新潟県は、この北前船(きたまえぶね)についてこう説明している。

「北前船は、瀬戸内から松前の間の日本海側を航行する、積み荷を各地で売買する商船(買積み船)のこと。のちにそう呼ばれるようになったもので、当時は北国船(ほっこくせん)とか弁財船(べんざいせん)などと呼ばれていた。北前船が活躍したのは、江戸時代の半ばから明治の20年代ごろまで。流通が発達していなかった当時、ものの値段は地域によってまちまち。北前船はものを安いところで買い、高いところで売りさばき、その差益で成り立つ商売だった。北前船が盛んに行き来する日本海沿岸の諸都市は、船が運ぶ利益とモノと情報で栄えた」(新潟県/新潟文化物語)

新潟市の篠田昭市長は、この北前船を例にあげ「北前船が航行されていた時代のように、日本最大の物流ルートも復活させ、観光やモノの流れを再びにぎやかにしたい」と意気込む。

「背骨から日本海へ」の時代を経て
北前船の航路とおもな港

この北前船時代から150年を経たいま、東京や大阪を起点とした鉄道や高速道路、航空路は充実したが、日本海岸を結ぶアクセスに革新的な発展はほぼない。かつて、京都からの山陰線特急や、大阪からの日本海縦貫特急「白鳥」などがあったが、「白鳥」や寝台特急「日本海」などは、国鉄分割民営化や利益不振などで消滅。高速道路がそれを補うかたちで延伸し、物流や観光の流れは高速道路へとシフトした。

いっぽう、列島の南北は、中国道や中央道、東北道を背骨とし、枝分かれする日本海連絡ルートが次々とつくられた。上越新幹線をはじめ、山形新幹線、秋田新幹線、北陸新幹線、そして山陰山陽方面は浜田自動車道や米子自動車道が開通し、伯備線特急に振り子電車が投入され、高速化が図られた。京都も舞鶴若狭自動車道が開通し、南北が行き来しやすくなった。

日本海沿いを新しい筋肉でチカラづける

そしていま、日本海沿いは「新潟なら新潟、舞鶴なら舞鶴と、旅行者は一点のエリアを回遊して、同じルートで帰ってしまう」という共通の悩みを抱えている。

この現況を打破すべく、ヨコのつながりを強化しようと、まず4市が立ち上がる。その間を取り持つ担い手として、新潟でレストランバスを走らせ、京都丹後鉄道を運営するWILLERに白羽の矢が立った。

WILLER流で推し進める同プロジェクトの柱は、人材・設備・情報の3つ。それぞれのエリアが共通の想いで取り組める仕組みのうえで、これまでにない路線・車両・ターミナルといった設備を整え、国内外に広く伝わる情報ネットワークをはり、人を呼び込みヨコの仲間へと動かす。

この発表会で、5者がくり返し伝えていたのは「5者にとどまらず、自治体も民間もこれからどんどん参入してもらい、日本海側全体のブランド確立をめざす」という点。北前船や特急「白鳥」といった時代の日本海側ルートではなく、沿岸地域のあらゆる部位を、まったく新しい筋肉でチカラづけていく――彼らの言葉ひとつひとつに、そんな気概を感じた。

《レスポンス編集部》

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