タイ国鉄 ブルトレ車両 チェンマイ―バンコク間で乗る往年のA寝台個室

鉄道 行政
オロネ25、A寝台個室の内部。
  • オロネ25、A寝台個室の内部。
  • 客室側10枚と通路側7枚の窓数が異なる設計。
  • ベッドメイキング後の室内。備え付けのブランケットだけでは寒いほどのクーラーの効き目。
  • チェンマイ駅で出発を待つSR14。
  • ベッドに設置された背もたれとひじ掛けの向かいにはノートブックが使いやすい小さなテーブルあり。
  • チェンマイを出てしばらくは山岳部を左右にカーブしながら走る。
  • いたるところに残る日本語。
  • タイ上陸後に書かれたおかしな日本語も。

【タイ】タイ国鉄ではJR西日本から無償譲渡された寝台特急(ブルートレイン)の客車が活躍している。

 車両の老巧化は否めないが豪華さは未だ失っておらず、切符は余裕を持った事前購入が必要なほどの人気だ。日本では3月のダイヤ改正で、上野―青森間を往復する「あけぼの」が廃止となり、国鉄時代に設定されたブルートレインの定期運行がとうとう消滅する。日本の中年男性がノスタルジーを感じるブルトレ車両に乗車した。

 JR西日本からタイ国鉄には、ブルートレインで使用されていた14系、24系、24系25形が無償譲渡されている。今回乗ったのは、24系25形のオロネ25。1990年製造の302番か304番のどちらかだ。オロネ25はいわゆるA寝台個室で、シングルデラックスの位置付け。往年の「あさかぜ」「瀬戸」「出雲」などに使用され、最近では豪華寝台特急「北斗星」で、ツインデラックスなどに改造されて走っている。

 車両の妻面には「新潟鉄工所・昭和52年製造」と残っている。元々は国鉄時代の1977年、開放式寝台のB寝台2段式のオハネ25として製造され、後にオロネ25に改造された。落成当初よりJR西日本持ちで、2008年に廃車となった(参考資料:ブルトレ新系列客車のすべて[イカロス出版])。

 A寝台個室は現在、バンコクとチェンマイを結ぶ夜行特急「SR13・14」の1往復に連結されている。ブルトレ車両をつなぐ列車は、ほかのバンコク―チェンマイ便やバンコク―ウボンラチャタニ便などあるが、A寝台個室はSR13・14のみ。ちなみに同往復便は食堂車と貨物車をのぞいて全ブルトレ車両という編成だ。

 JR東日本のウェブサイトで調べてみると、日本で現役のシングルデラックスの寝台券は1万3350円。これがタイ国鉄だと1360バーツ(4000円強)という運賃設定。バンコク―チェンマイ間の1等列車運賃を合わせても1953バーツで、6000円強で済む。タイで乗るA寝台個室は日本の3分の1の運賃だ。

 「A寝台個室に日本の3分の1の運賃で乗れる」と聞くと非常にお得に感じる。しかし、製造から37年も経つとさすがに老巧化は否めない。ダイヤ状況、車内サービス、アメニティの充実度を考えると運賃相応とも思えてしまう。

 一方で、「あさかぜにつながれていた」ということだけで、乗る価値があると判断する、ブルトレ全盛期を知る今の中年男性は少なくない。その前の世代にとっては、ブルトレではなく「九州特急」の名で憧れていたはずだ。残念なのは紫系に塗装し直されされ、外見のブルトレ感がなくなってしまったこと。

老巧化否めなずもタイ  国鉄では十分な装備

 鉄道ファンのホームページやブログを閲覧すると、バンコク発チェンマイ行きのSR13に乗る日本人は多いようだ。今回、仕事の都合もあって上りSR14に乗ってみた。個室の広さは見た目3畳ほど。もともとあったカード式のドアロックは使用されておらず、外からはカギがかからない。入ってまず感じるのは、「さすがに古い……」。

 幅1メートルほどのベッドは広さ十分。実はリクライニングベッドになっていて、壁のボタンを押すと通路側の半分弱が30度前後まで持ち上がってくる。寝ながらにして窓の景色を眺めることができるのだ。ベッドの足元の方には背もたれとひじ掛けがあり、イスとして利用できる。向かいの壁には折りたたみの小さなテーブルがあり(ほとんど壊れていて折りたためないが)、ノートブックを置くのにぴったり。

 不要と思いながら洗顔に便利だったのは洗面台。やはり折りたたみ式だが、こちらは壊れておらず開閉可能。昭和の床屋の洗髪台のようだ。なぜか流しはピンク色。隣の個室をのぞいてみたら、そちらは水色だった。JR時代からの配色だろうか。ちなみにシャワーは車端部にある。備え付けのバスタオルなどなかったので、試さないまま下車してしまったが使用可能なようだ。ただ、タイにありがちな簡易シャワーなので、お湯が出るかどうか分からない。トイレの洗面台は水が出なかった。

 室内や通路など車内にいろいろ日本語が残っているが、付け替えられたカーテン、無造作に置かれたゴミ箱、手動になってしまった自動ドアなど、ブルトレを期待して乗車すると興ざめしそうなものがいくつも目に飛び込んでくる。しかし、古いとはいえタイ国鉄のほかの車両と比較すれば非常に堅牢で今なお豪華さを保持し、プライベートも保たれている。日本製であることが日本人としてうれしくなる車両だ。ブルトレ車両はB寝台(タイでは2等寝台)を含め、タイ人にも外国人にも人気。特にチェンマイ行きの切符は余裕をもった事前符購入が必要。

 ただ長く走り過ぎたせいか故障が多く、修理もひんぱんの様子。A寝台個室が修理に回ると、代わりに韓国製の個室寝台車がつながれる。「A寝台個室に乗るはずが当日ホームに行ってみると……」ということが起こる。実際、今回の乗車で切符を買いに行った際、念のためにホームを確認してみると、入線していたのは韓国製だった。タイ国鉄での廃車もそんなに先ではなさそうだ。そうなる前に乗っておきたい。

高速鉄道の計画あり  経済回廊と異なる路線

 タイ国鉄の北線は(上りでみて)チェンマイ→ラムパン→デンチャイ(プレー)→ウタラディット→ピサヌローク→ピジット→ナコンサワン→ロッブリ→アユタヤ→バンコクと走る。一方、最近話題となっている経済回廊の南北回廊は、チェンコン(チェンライ県ラオス国境)→チェンライ→ラムパン→ターク→ナコンサワン→バンコクと走り、タイ南部を下ってマレーシア国境に向かう。タイ政府は現在、軌道の敷き直しを含めたタイ国鉄の高速化計画を打ち出している。実現すれば、タイ第2の都市でありながら南北回廊から外れるチェンマイを、高速鉄道でラムパンにつなぐことができる。

 そのまま南下してピサヌロークでは東西回廊と交差、その南ではピジット工業団地があるピジットを通過、ナコンサワンからは南北回廊とほぼ同じルートを辿るが、鉄道は途中でロッブリにそれ、再びアユタヤで合流する。ロッブリからは国道1号線がサラブリに延び、その先は国道2号線が東北部ゲートウェーのナコンラチャシマへと続いている。

 そう考えてみると、タイ国鉄に必要なのは旅客列車だけでなくむしろ貨物列車だ。実際に、「JR九州が新幹線を売り込んでいるが、タイ政府が求めているのは貨物だ」とコメントする金融関連の仕事に就く日本人ビジネスマンがいる。

 SR14はチェンマイ駅を午後4時に出るとすぐに山岳部にさしかかった。けっこうな角度の山の中腹を、スピードを落としてゆっくり走る。車窓からはがけ崩れやその補修の跡が見える。辺りがすっかり暗くなるまでの2時間ほどゆっくりした走行が続いた。線路わきには、枕木がくっついたまま剥がされたレールが数十キロにわたって断続的に横たわっていた。脱線事故のニュースをひんぱんに聞くタイ北部で、線路補修が集中的に行われているようだ。ただ、実際にニュースになる脱線はラムパン県やプレー県辺りで、もう少し南の一帯だ。

 日が落ちてすっかり暗くなった夜7時半ごろラムパン駅に到着、すでに30分ほどの遅れだが、バンコク到着もその程度の遅れだったので、タイ国鉄としてはほぼ定刻だろう。ラムパン駅からは欧米人を中心とする外国人旅行者が大勢乗ってきて、B寝台の方はほぼ埋まった。観光地チェンマイからではなく、マイナーなラムパンからの乗客が多いのが意外だった。チェンライやその先のラオスといった、南北回廊にほぼ沿ったルートで南下してきた旅行者たちなのだろう。ちなみにA寝台個室の客入りは10室中、5―6室にとどまっていた。 

 外の景色も見られなくなり、時間的にも夕食なので食堂車に赴く。ドアを開けようとした手が一瞬止まった。三原色のライトが点滅しているのが見え、ディスコ・ミュージックが聞こえてきたからだ。タイ国鉄は一部のブルトレ車両をカラオケ車に改造している。それが連結されているのかと思ったが、そんなはずもなかろうとドアを開けてみたら、やはり食堂車だった。

 テーブルに付くと、ウエイトレスはまずアルコールを勧めてきた。音楽に合わせて小躍りしている。先客は10人ほどで、ボックス席にでも座ったようなしぐさ。ディスコを通り越してゴーゴーバーのような雰囲気だ。これまでタイ国鉄の食堂車を何回も利用しているが、ゴーゴーバー風の車両は初めて体験した。このような食堂車を好まない乗客は席(ベッド)で注文した方が良い。
 夜行特急のためその後はほとんど寝ていたが、列車はプレー市近郊のデンチャイ、王妃の名を授かったシリキットダムがあるウタラディット、そして深夜0時過ぎにピサヌロークにそれぞれ停車。前述のとおり、デンチャイ付近では脱線事故がひんぱつ、昨年に集中工事が行われた。終わってまだ数カ月だが、線路状態を原因とした脱線は今のところ起きていない。

 ウタラディットにあるシリキットダムは、堤防の幅800メートル、せき止められて造られた人工湖の広さは250平方キロメートル。洪水が心配される雨期は、ターク県の(国王の名が付く)プミポンダム同様、水位の調整がシビアとなる。放水が下流での洪水被害に直結するからだ。

 ピサヌロークはこの1―2年で地価が高騰、個人的に所有している不動産も一気に値上がりした。もともとタイ北部ゲートウェーとしての商業都市で、最近は東西回廊の沿線となってさらに活気づいている。ピサヌロークを挟んで東西回廊沿いには、東に中央回廊と交わるコンケン、西に南北回廊と交わるタークがあり、地価高騰や国境貿易の発達が話題となっている。

 ナコンサワンやロッブリには深夜から夜明けにかけての停車。アユタヤを過ぎた辺りでようやく明るくなりはじめ、通路からコーヒーを売る声が聞こえてくる。バンコク到着は時刻表では6時30分。渋滞が始まる時間帯でなので、駅に付く前にどこかで必ず信号待ちとなる。タイではクルマと同様に列車も、踏切で停まって信号が青になるのを待つ。

 タイで高速鉄道の構想が実現すれば、仕事で鉄道を利用するビジネスマンがもっと多くなるだろう。一昔前の日本のように、翌朝からの仕事のために寝台特急で夜のうちに移動する乗客も増えてくるのではないだろうか。そのとき、A寝台個室のような客車がタイ国鉄によって造られることを期待したい。

《newsclip》

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