【タイで働く女性たち】タイで日本語を教える山田綾希子さん

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山田綾希子さん
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タイで働く女性たち 第16回 タイの人たちの役に立ちたいと日本語を教える山田綾希子さん


「タイ人も日本人も素晴らしい人たちばかり」

「日本語教師という今の仕事のきっかけを与えてくれたタイやミャンマーの人たちのために少しでも恩返しがしたい」と話す山田綾希子さんは、バンコク・サトーンにある「タイ早稲田日本語学校」の日本語教師。週に17コマ、主にタイ人を対象に日本語を教えている。日本語に関心を持つ高校生や大学生、留学や研修予定の若者、夜間のコースではビジネスマンたちが熱心に机に向かう。

現在の職場は4年目。20数人の同僚日本人教師とともに忙しく教壇に立つが、忙しいぐらいがちょうど良い。仕事でも外でも多くの“出会い”に刺激を受ける毎日。「ここ東南アジアは、タイ人も日本人も素晴らしい人たちばかり」と充実した時を送っている。

最近は、毎年1年が経過するたびに「今年も楽しかったな!」と思えるようになった。常に一番良いコンディションで過ごすことができているとも感じる。だが、ここに到達するまでには、さまざまな紆余曲折もあった。

心残りだった帰国 実は、日本語教師は今回が初めてではない。大学卒業後、通算1年数ヵ月ほど、やはりタイで教えたことがあった。最初はバンコク東部チャチューンサオ県の日本語学校。

取り立てて不満があったわけでもない。ただ、あまりにも、のんびりし過ぎて、生活のリズムが合わなかった。学生時代はアルバイトに趣味に、常に身体を動かしていたという山田さん。もう少し緊張感が欲しいと思った。

転職した先が、現在も勤務するバンコクの日本語学校だった。職場環境にも馴染め、今度は順調に進むかに見えた。ところが個人的な事情から日本に帰国せざるをえなくなり、間もなく離職。心残りのままタイを後にした。日本では新たに会社に就職したが、心の中のモヤモヤが晴れることはなかった。

「好きな仕事をしているから…」

帰国後、3年が経過しようとしていた時だった。たまたま勤めたあるサービス業の会社。日本に帰って幾つ目かとなるこの会社で、転機は偶然、訪れた。

体育会系を地で行くような職場環境。限界まで自分を追い込み、これ以上ないほどまでに仕事に打ち込む上司や同僚たち。そうかと思えば、一方で、仕事を楽しんでいるかのようにも見える。「この人たちは、どうして仕事に厳しいのだろう?」

自分なりに考えてみた。何度も何度も考えてみた。そこに何か自分にとっての結論があるかのような気がしてならなかった。間もなく得られた結論は、意外と簡単だった。「好きな仕事をしているから。だから妥協したくない…」

わざわざ自分に投影してみるまでもなかった。「再びタイに行こう!私も好きな仕事をしよう!」。心の中はすでに固まっていた。志半ばで中断したままの日本語教師。再びタイの大地を踏み、かつての勤務先のドアを叩いたのはそれから間もなく、2009年3月のことだった。

20歳の時の東南アジア旅行が原点 新潟県の出身。20歳の時、一人で東南アジア各地を旅行したことがある。タイにミャンマー、カンボジア。日本語を勉強している人が予想以上に多いことに驚いた。将来の進路を考え始めた時期。それまでは「高校教師をしてみたい」と漠然と思っていたが、ふと、考えが改まった。「日本語を教える仕事がしてみたい。日本語を学ぶ人々の夢をサポートしたい」

現在はまだタイだけだが、いずれミャンマーなどでも日本語の先生をしてみたいと思っている。「今の私があるのは、あの東南アジア旅行が原点。素晴らしい経験、たくさんの“出会い”のおかげでこの道を歩むことができた。そのご恩返し…」

タイに来て学んだことは数知れない。ソンクランなどのお祭りを見ても、子供から大人までもが一つになって協力し合い、何事にも楽しみながらやり遂げようとする姿が目立つ。日本にはもう少なくなくなってしまった「何か」が、ここにはあるような気がしてならない。

日本に帰る予定は当面ない。充実した毎日。今はもう、はっきりと言える。再びタイに来てみて、あの時、決断してみて、本当に良かったと心から思っている。

タイで生活する日本人は最新の2012年統計で約5万人。企業などの駐在員や永住者、その家族などが多くを占め、滞在する男性の多くが仕事を持って暮らしている。女性についてはビザの関係から就労が難しいと一般的に理解されているが、実は、働く女性は決して少なくない。新企画「タイで働く女性たち」では、タイで仕事に就き、活躍する女性たちを追う。

タイで働く女性たち 第16回 タイの人たちの役に立ちたいと日本語を教える山田綾希子さん

《編集部》

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