まもなくインドは中国を抜いて世界一の人口になる。世界最大の民主主義国家インドの経済成長に世界中から熱い期待が集まっている。
その経済成長に合わせて、高速道路や鉄道など交通手段の整備も進んでいるが、同時にさまざまなねじれや歪みもあって少なくない混乱もある。
南インドに拠点を置き「イノベーションの実験室」を運営して日本とインドのビジネスの架け橋となっている大和倫之氏による「ベンガルール通信」。
今回は、インドの交通事情の発展に伴うさまざまな混乱の様子をレポートする。
◆インド版Suicaのインドらしい弱点とは?
ベンガルールよりナマスカーラ!
2023年3月末、ベンガルールの公共交通メトロにも「National Common Mobility Card」(NCMC)が導入された。NCMCはその名の通りインド全国共通の公共交通乗車カードだ。日本で言えばクレジットカード一体型のSuicaやPASMOに似たイメージとなろうか。銀行口座やグローバルブランドのクレジットカードと関連付けられているため、手元のスマホからオンラインで残高を積み増しできる。いったん設定が済めば、残高の有る限り、メトロの改札やバスの精算機にタップするだけで乗車できる。ほぼタイムラグなく、使用場所と金額や残高がSMSで送られてくるのは安心感にもつながっている。
これまでも有人窓口や券売機で現金を出して残高をデポジットできる、日本で言えば無記名式のSuicaやPASMOのような乗車カードはあった。それに加えて、都市ごとの主要金融機関がその地の事情に応じて発行する、方式がまちまちのカードも存在していた。これらが中央政府の住宅・都市問題省の主導によりNCMCに統一化され、2019年3月にモディ首相のお膝元であるGujarat州Ahmedabad市から導入が開始された。現在までに約20の都市で採用が決まっているというが、依然として検討中・導入準備中も多く、実際に稼働している都市や公共交通機関は全国でも両手に収まる程度に止まっている。
このNCMCのベンガルールでの発売当日、話題になったのは「圧倒的な利便さ」ではなく、いつもどこかの街角で見掛ける混乱・混沌ぶりと長蛇の列だった。
「各駅の有人窓口で申し込めば即時発行される」との触れ込みだったが、当然、そんなにうまく行くはずがない。普段は乗客の行先に応じて乗車券を販売するのが主な役割だった窓口担当者に、詳細な個人情報の確認作業を求めるのは端から無理な話だ。どれだけ入念な事前の訓練や特別の担当者配置がなされたかは知らないが、窓口の混乱ぶりは想像に難くない。
身分証明書の記載通りに一字一句間違わずに “KYC”(Know Your Customer=本人確認手続き) を執り行う業務は、高等教育を受けて資格試験を通過した公務員や銀行員などでもミスの絶えない業務だ。それなのに、インドの全国的なデジタルKYCプラットフォームとして広く利用されている「Aadhaar」(日本のマイナンバーに相当)は採用されなかった。
その場で手書きした申込書を納税者番号や運転免許証といった身分証明書と共に窓口に提出し、担当者が確認して上でシステムに手入力で登録する。何とも旧世代の手法が採用されているようだから、発行まで一人当たり10分から15分を要したという報道も誇張ではなさそうだ。行列に耐えかねて文句を言う者には、手元のスマホからオンラインでセルフ入力するオプションが推奨されたそうだが、このシステムも後戻り修正が出来ず、入力したデータを修正するには改めてまっさらな状態から全項目の入力が求められる仕様だったそう。
何か革新的な技術をひとつ持ち込むにしても、社会全体を変えるだけ広く使われるまでには相当の手間や時間を要する、というインドの事情が改めて現れた事例となった。
◆待望のメトロ延伸もまだまだ残る課題
こんなNCMCの導入と前後して、南北線と東西線の2路線が運行されるベンガルール・メトロ(地下鉄)で、待望されていた区間の「延伸」も発表された。外資系を含めたIT企業が大規模な開発センターを構えるWhitefield地区は、都心から東に向かって20km超の郊外に位置する。最近は日本人を含む外国人居住者が多く集まり、飲食店やショッピングエリアも急速に充実している新興エリアである。
このエリアへの通勤手段は、これまでは自家用の二輪車・四輪車か乗り合いタクシー、会社が用意するシャトルバスや公共路線バスが主な通勤手段だった。ここに至る幹線道路は慢性的に渋滞しており、通勤時間帯などに余裕をもって到着しようとすれば都心を2時間前に出る必要がある。さらに工事による車線制限や降雨による冠水区間などがあると、所要時間はたちまち数時間に伸びる。日中に往復するなら半日以上を車内で過ごすことを覚悟しなければならない。メトロが利用可能になることのメリットは大きい。