日本自動車殿堂 殿堂入り4名を発表し表彰…自動車社会構築の功労者へ

日本自動車殿堂表彰式
  • 日本自動車殿堂表彰式
  • トヨタ代表取締役会長の内山田竹志氏
  • トヨタ代表取締役会長の内山田竹志氏
  • 井巻久一氏
  • 森美樹氏
  • 豊田英二氏
  • 長山泰久氏

特定非営利活動法人日本自動車殿堂は日本自動車殿堂 殿堂入り4名を発表するとともに表彰式を開催した。今回は豊田英二氏(トヨタ自動車)、森美樹氏(弁護士)、長山泰久氏(大阪大学名誉教授)、井巻久一氏(マツダ)の4名が殿堂入りとなった。

本年の日本自動車殿堂 殿堂者選考に当たっては、研究選考会議において、選考主題を自動車社会構築の功労者とし、自動車産業、学術分野、スポーツ・レース分野、マスコミの分野など、幅広い分野を対象とされた。

◆トヨタと日本自動車産業発展とグローバル展開の礎を築く…豊田英二氏

本の自動車産業の黎明期からトヨタ自動車の経営に携わり、純国産車の開発や生産体制を確立し、経営基盤を強固なものにすると共に、世界に冠たる日本の自動車産業の発展に貢献したことから、日本自動車殿堂 殿堂入りとなった。

豊田英二氏豊田英二氏

表彰式にはトヨタ代表取締役会長の内山田竹志氏が登壇し、「豊田英二は1936年3月に東京帝国大学工学部を卒業した後、4月に直ちに豊田自動織機製作所に入社。そして創業者の豊田喜一郎から、芝浦研究所の立ち上げを託され、自動車研修を担当した」と経歴を紹介。そして、「翌年トヨタ自動車工業株式会社が設立され、24歳であった英二は喜一郎が最も大切にしていたお客様第一、品質第一を実現する、監査改良課に配属され、今日のトヨタで行なっている品質は工程で作り込むということの基盤を作り上げた」とその功績を披露。

トヨタ代表取締役会長の内山田竹志氏トヨタ代表取締役会長の内山田竹志氏

また、「日本人の手で国情にあったクルマを作りたいと願い、喜一郎の言葉通り、純国産車の『クラウン』を作り、貿易の自由化の荒波の中、多くの人々が手に届く大衆乗用車を手掛けて、モータリゼーションを起こした」という。「時には、矢面に立つ場面でも自らの立場を決して自社だけでなく、自動車産業、経済界全体のために力を尽くしていった。現社長の豊田章男も、“英二さんからは常に叱咤激励があり、愛情をもってご指導いただいた”と部下に話している」とのことだ。

内山田氏本人も、「英二からは数多くの指導を受けた。1997年12月にハイブリッド車『プリウス』を発売。その4年前の1993年には、21世紀のクルマに関する議論が社内で高まり、当時会長だった英二が、21世紀にふさわしいクルマを作るべきではないかと発言し、“G 21プロジェクト”が発足。私はチーフエンジニアとして担当して開発を進めていった」という。「私自身、技術で環境問題に貢献したいという強い思いがあったが、それは喜一郎や英二が自動車で社会に貢献したいという思いと同じだ」とその思いを振り返る。

「英二は決して多くを語らず、難しい課題を私たちに与え、そのために私たちは必死で考えさせられたものだった。しかし、振り返ると、その研ぎ澄まされた現場感覚、洞察力と時代を先取りする大胆果敢な構想力を持って、私たちの進むべき道を、大局を示しえてくれたのだと思う。同時に何人にも真摯な姿勢をもって接する温厚篤実な性格で、国内外のあらゆる人の尊敬と信頼を集めていた」と述べた。

◆法律家の立場から自動車交通社会の在るべき道を説く…森美樹氏

弁護士として交通事故などの補償と、被害者救済に精力的に取り組むとともに、モータリゼーションの進展に伴う負の側面に焦点を当て、その解決策の提言に主導的な役割を果たしたことが殿堂入りの選考理由となった。

森美樹氏森美樹氏

授賞式展にはJAFメイト編集長を長年務めた岩越和紀氏が登壇。森美樹氏のお嬢さまからのメッセージを代読した。「父は弁護士として半世紀にわたり、クルマや交通関係の問題に関わり、人生の後半は一人のドライバーとしても運転を楽しんでいた」と紹介し、「自家用車をフェリーに乗せ、母と3人で巡った瀬戸内海の島々の風景と夕日に照らされる、両親の姿が今も目に焼き付いている」と思い出を披露。そして、「この殿堂入りをきっかけに2年前に88歳で亡くなった父の活動を、次の世代に知ってもらえる事が、何よりも嬉しくありがたい」とコメントがあった。

また、「クルマで事故を起こしたことがあり、その処理が、本人の気持ちとは不本位な形で処理されてしまったこと、また、弁護士活動での交通事故は非常にマイナス面が多いということから、暫くは運転を中断していた時期があった。その後、クルマの運転も弁護士活動にリスクを感じなくなったことから運転を始めた。この事故をきっかけに交通法を勉強し、交通評論家となり、没後、自動車殿堂入りするだから、人生わからないもの」と語られた。

◆生涯にわたる交通教育の体系化…長山泰久氏

長山氏の殿堂入りに関しては、我が国においてはじめて交通心理学を体系化し、独自の研究領域として確立するとともに、運転者教育をはじめとした、交通教育と教育訓練の普及を先導されたことが評価された。

長山泰久氏長山泰久氏

授賞式にはご子息の長山泰秀氏が来場し、長山氏のコメントを代読した。「私が大阪大学応用心理学講座の助手となり、ドイツに留学し帰国後から交通心理学を専攻してきたので、研究歴は1961年から60年に及ぶ。助手時代は多数の事故、事例を分析し、人間の側面の要因のうち、危険感受性、安全運転態度の欠如が最も重要であることを明らかにしてきた」。

次いで、「運転適性テスト作成に当たっては、それまでのものがハンドル、ブレーキや視力、反応時間などの操作・動作系を問題にするのに対して、私は、安全、危険の予知、予測や、運転の動機や態度の精神、心理系の視点で捉えていった」という。また、「危険予知の写真やフィルムの教材を作成し、広く活用していった」。そういった映像をJAF 関西交通実行委員会の総会で示した際、「日本自動車連盟の機関誌 JAF メイトの編集者が強く関心を示し、私の監修での危険予知のコーナーが1991年4月号から毎月号に掲載。現在もその監修に関わっている」とのことだ。その「危険予知の映像を、自動車教習所が運転者教育の教材として使用するようになると、1994年に私が委員長で警察庁が学科試験の在り方に関する調査研究委員会を設置し検討し、運転免許試験で危険予測問題として採用することになった。私の研究が単に学問の領域で終わるのではなく、交通安全という社会問題に貢献できたことを嬉しく思っている」とコメントした。

◆マツダの業績回復とフォードからの独立を主導…井巻久一氏

マツダの業績の回復と、フォードからの独立を主導し、その後もブランド戦略を推進。技術開発の長期ビジョンの策定を行うとともに、人材育成にも取り組んだことが評価され、日本自動車殿堂、殿堂入りを果たした。

井巻久一氏井巻久一氏

当日はビデオメッセージにて受賞コメントが流された。井巻氏は、「入社試験の面接官、ミスターロータリーこと山本健一さんにとんでもない大口をたたいてしまった。それは、採用していただければ東洋工業をまともな会社にして見せるということ。この約束こそが私のマツダ人生そのものとなった。業績を回復させ、フォードからマツダ株を買い戻し、名実ともに日本企業に。そう思い、やっと約束を果たしたと、社長を退いたが、これは自己満足。今回の殿堂入りを機に(このことが)世間に認められることになった。これはひとえに日本自動車殿堂のおかげだ」と述べた。

《内田俊一》

内田俊一

内田俊一(うちだしゅんいち) 日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員 1966年生まれ。自動車関連のマーケティングリサーチ会社に18年間在籍し、先行開発、ユーザー調査に携わる。その後独立し、これまでの経験を活かしデザイン、マーケティング等の視点を中心に執筆。また、クラシックカーの分野も得意としている。保有車は車検切れのルノー25バカラとルノー10。

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