平成とともに始まったボクのバイク人生と、その30年間…青木タカオ【平成企画】

カワサキGPZ900R
  • カワサキGPZ900R
  • ホンダNSR250R
  • ヤマハFZR1000
  • カワサキ900SUPERFOUR
  • ホンダCBR1100XX
  • 16歳の筆者とGPZ250ベルトドライブ
  • 学生時代の筆者、北海道納沙布岬
  • カワサキGPZ900R

ついに平成最後の年となりましたが、30年間を振り返ってみると“平成=ボクのバイクライフ”そのものだったことがわかります。

というのも、平成元年(1989年)に16歳となって、400ccまでのバイクに乗れる中型限定普通2輪免許を取得したので、ボクのバイク人生もまた平成とともにスタートしたのです。最初に乗ったのは、13万5000円で購入した中古の『GPZ250ベルトドライブ』でした。
ホンダNSR250RホンダNSR250R

バブル時代、そしてレーサーレプリカ全盛期

当時はバイク人気も高く、16歳になったらすぐ免許という高校生は珍しくなかったと思います。「三ない運動」の真っ盛りですが、ボクが通う都立高校では学校へ乗ってこなければOKだったので、放課後や休日はバイクばかり乗っていた記憶があります。

消費税3%がスタートした平成元年(1989年)、カワサキから『ゼファー』が登場し、その後に起きるネイキッドブームの火付け役となりましたが、まだまだレーサーレプリカブーム真っ只中。学校の同級生や先輩らは『NSR』や『TZR』、『RGVガンマ』、『VFR』や『FZR』などに乗っていました。いま思うとバブル期だったからでしょうか、「お父さんに新車を買ってもらった」という友人もチラホラいて、羨ましかったことを覚えています。
学生時代の筆者、北海道納沙布岬学生時代の筆者、北海道納沙布岬

夏の北海道はバイクであふれかえっていた

「ちびまる子ちゃん」がフジテレビ系列で放送開始し、ティラミスがブームになった頃。ボクの夏休みは、テントと寝袋をバイクのリアシートに積んで、北海道や四国・九州へとツーリング三昧でした。お金はないけど時間はあったので、キャンプ場やライダーハウスにずっと滞在。どこへ行ってもワンサカとバイク乗りがいて、仲良くなって住所を交換するのがお決まりのパターン。帰宅する頃には便箋に手書きで書いた手紙と想い出の写真が封筒に入って届いていたものです。メールなんてありませんし、良い時代ですよね。いまも宝物として、手元に残っています。

人にこうやって話すと“青春っぽい”ですが、その頃バイクに乗っていた人にとっては、さほど特別なことではなかったと思います。バイク専門誌にも投稿コーナーがあって、ツーリングレポートは人気でした。まだネットオークションなんてないから、部品やバイクの売買も誌面を通じて。住所や電話番号といった個人情報もバンバン載っていたから、大らかな時代です。
カワサキGPZ900RカワサキGPZ900R

大型バイクの世界が広まっていく

平成3年(1991年)、18歳になると大排気量バイクに乗るため、限定解除に挑戦します。方法はただひとつ、実技の一発試験に合格するのみ。受かるまで10回も試験を受けましたが、それでもまだ順調な方でした。合格率10%未満などと言われ、教官が竹刀を持って生徒を鍛え上げる「鬼の中川」という練習場が有名で、それほど練習しなければ受からなかったのです。

『東京ラブストーリー』や『101回目のプロポーズ』といったテレビドラマは欠かせませんでしたが、ジュリアナ東京は面白いと思いませんでした。宮沢りえのヘアヌード写真集に興奮するのが精一杯の冴えない18歳で、1か月に1回くらいのペースで鮫洲試験所にて実技テストを受け続け、落ちては「なんでだよ~」って泣きながら帰ったことを今でも忘れません。

カワサキのビッグバイクに、ただただ乗りたいだけで達成した限定解除ですが、自分にとっては大きなチャンスを掴むキッカケになりました。平成6年(1994年)に大型バイクだけを扱う専門誌『ビッグマシン』(内外出版社)が創刊され、大学生だったボクはその編集部にアルバイトとして入り、出版業界に携わることになっていきます。
ホンダCBR1100XXホンダCBR1100XX

高性能に熱狂していく一方で、ゆったり乗る派も急増

平成8年=1996年9月の免許制度改正によって、平成9年=1997年から教習所で大型2輪免許が取得できるようになると、大排気バイクの時代がやってきました。見習い編集部員として撮影現場までよく乗っていったのが、世界最速を競う各社のフラッグシップモデルたち。カワサキ『ZZR1100』(平成2年=1990年)、ホンダ『CBR1000XX』(平成8年=1996年)、そしてスズキ『GSX1300R HAYABUSA』(平成11年=1999年)。「市販車ナンバー1はどれか?」という、クレージーとも言えるテーマにバイクファンらは陶酔していたのでした。

こうした世界最速への憧れは、絶対性能を追い求めたレーサーレプリカブームの延長線上にあったと思いますが、その反動だったのでしょうか、もっとゆったりとバイクに乗りたいという人たちが増えていきます。レーサーレプリカ全盛期の平成元年=1989年に『ゼファー』や『CB-1』、『バンディッド400』が登場すると、「肩ひじ張らずに」というバイクとの付き合い方が支持され、ネイキッドブームとなっていくのです。

『CB400SUPER FOUR』(平成2年=1990年)や『XJR400』(平成6年=1994年)がデビューすると、大型クラスにも『CB1000SUPER FOUR』(平成4年=1992年)や『XJR1200』(平成6年=1994年)が登場し、ネイキッド派が勢力を伸ばしていきます。

ただし、もう一辺倒にはなりません。アイドルやアニメ、ゲームもそうだったように、バイクもこの頃から細分化されていき、さまざまなジャンルを個々が思い思いに楽しむようになっていきました。学校週5日制がスタートした平成4年=1992年にはスズキがジャンルレスな『SW-1』をリリースするなど、あらゆるスタイルをバイクメーカーも提案していき、王道や本筋はもうどこにあるのか分からなくなっていきます。それはひとりひとりが自分自身で自由に決めればいい時代になったのです。
ヤマハTW200EヤマハTW200E

巷ではブームが目まぐるしくやってきた

ストリートではさまざまなブームが訪れます。ヤマハ『SR』のカスタム人気が定着した頃だったでしょうか。Jリーグが開幕し、コギャルブームだった平成5年=1993年頃から、アメリカンバイクが大ヒットします。ホンダ『スティード』もヤマハ『ビラーゴ』も80年代から発売されていましたが、90年代半ばに一躍大ヒットモデルとなっていくのです。ルーズソックス、アムラー、たまごっちで沸く平成8年=1996年に、ヤマハは『ドラッグスター』を発売しました。

不人気車だったヤマハ『TW200』(1987年~)が、雑誌やカスタムショップの手も借りて裏原宿あたりの主役となっていくのも、その頃です。トラッカースタイル、スカチューンの“ティーダバー”らは、ファッショナブルに街を駆け抜け、キムタクもテレビドラマ『ビューティフルライフ』(平成12年=2000年)でTWに乗る美容師を演じ、ブームに拍車をかけます。

他にもスポーツスターやモタードなど、注目されたバイクやジャンルはたくさんありましたが、トレンドは常にクロスオーバーしていて、スタートや終焉は曖昧です。Windows95が発売された平成7年=1995年にはヤマハ『マジェスティ』が登場し、オジサンの乗り物だったビッグスクーターがストリートカスタムのベースになっていきました。スカイウェイブ『250』(平成10年=1998年)や『フォルツァ』(平成12年=2000年)ら対抗馬も登場すると、街はビッグスクーターであふれかえります。
カワサキ900SUPERFOURカワサキ900SUPERFOUR

ライダーへと返り咲く人たちも

「リターンライダー」という言葉が使われ始めたのは、いつの頃だったのでしょうか。ハーレーダビッドソンやBMWといった外国車の人気急増は、大型二輪免許の取得が教習所で可能となった平成9年=1997年以降で、平成17年=2005年4月からの高速道路のバイク二人乗り解禁でも勢いを増します。ディーラーでは「定年を機に、自分へのご褒美」「子どもが成長したので、今度は自分の趣味に」という声も聞かれ、若い頃にバイクに乗っていた人たちが再びまたライダーへと戻ってきているのです。

中古車市場で昨今、「Z」や「カタナ」などの絶版バイクが高値となっていますが、それを求める人も「むかし憧れていたあのバイクに…」という想いが、きっとあるのでしょう。ボクも70年代初めの旧いバイクを手放せませんが、性能や希少性に価値を感じるのではなく、そのバイクが漂わす時代感みたいなものに魅了され続けているのかもしれません。
ヤマハYZF-R25ヤマハYZF-R25

バイク業界低迷…!? いいえ、楽しみはワンサカ!!

バイク業界に衝撃を与えたのは、記憶にまだ新しい平成22年=2006年の道路交通法改訂による駐車禁止の取締強化です。「もう都心部へはバイクで出掛けられなくなった」と、ショックを受けた人は少なくなかったと思います。あんなにもいたビッグスクーターが街から姿を消し、平成24年=2008年のリーマンショックによる不景気も影響し、新車の販売台数も低迷。ただし“バイク離れ”と一部で騒がれるものの、保有台数から見ればそれは誤解で、中古車市場は活発ですし、休日のサービスエリアには今も駐輪スペースに停めきれないほどのバイクが集まっています。

そして、あらゆるカテゴリーがいま人気です。たとえば、250スーパースポーツ。平成20年=2008年にカワサキが発売した『ニンジャ250』が立役者となって、各社が競合機種を出して盛り上げています。ヤマハ『YZF-R25』(平成26年=2014年)、スズキ『GSX250R』(平成29年=2018年)、ホンダ『CBR250RR』(平成30年=2018年)と出揃い、さらにモデルチェンジ、そしてニューモデルの登場に期待せずにはいられません。

欧州からネオクラシックやスクランブラー、アドベンチャーが上陸し、各セグメントが熱を帯びています。原2スクーターの人気も上々で、平成30年=2018年にホンダは『PCXハイブリッド』を発売し、さらに電動モデルも法人向けにリースを開始。カワサキは『Z900RS』を発売し、スズキは新型『KATANA』をドイツ・ケルンショーで初披露して話題沸騰中です。平成31年=2019年も、楽しみで仕方ありません!
スズキ新型カタナスズキ新型カタナ

これからもずっと、バイクはボクの日常にある

駆け足で30年間を振り返りましたが、どんなときもバイクは常に自分にとって最高に楽しいもので、なくてはならないもの。それはこれからも変わりません。生まれて初めてバイクで走った感動を忘れず、ボクは新しい時代もオートバイとともに駆け抜けていくつもりです。

スズキRM-Z250と筆者スズキRM-Z250と筆者
青木タカオ|モーターサイクルジャーナリスト
バイク専門誌編集部員を経て、二輪ジャーナリストに転身。自らのモトクロスレース活動や、多くの専門誌への試乗インプレッション寄稿で得た経験をもとにした独自の視点とともに、ビギナーの目線に絶えず立ち返ってわかりやすく解説。休日にバイクを楽しむ等身大のライダーそのものの感覚が幅広く支持され、現在多数のバイク専門誌、一般総合誌、WEBメディアで執筆中。バイク関連著書もある。

《青木タカオ》

モーターサイクルジャーナリスト 青木タカオ

バイク専門誌編集部員を経て、二輪ジャーナリストに転身。多くの専門誌への試乗インプレッション寄稿で得た経験をもとにした独自の視点とともに、ビギナーの目線に絶えず立ち返ってわかりやすく解説。休日にバイクを楽しむ等身大のライダーそのものの感覚が幅広く支持され、現在多数のバイク専門誌、一般総合誌、WEBメディアで執筆中。バイク関連著書もある。

+ 続きを読む

【注目の記事】[PR]

編集部おすすめのニュース

特集