懐かしのミャンマーを行く(30) 意中の人と再会叶わず

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(2)ガローで再会かなわず


街のホテルに戻る。インターネットOKと言われたので、早速自分のPCを繋げてみたが、全く反応しない。もうメールチェックすら3日以上していない。仕方なく、そこにあったPCでネットを繋ぎ、メールチェックを試みる。確かに繋がっていたが、一向に動かない。1枚の画面が動くのに、20分は掛かった。結局約1時間後、無事メールを見ることが出来た。繋がるだけマシということか。


ガローまで来たら、どうしても会いたい人がいた。ウラミットさん、8年前に一度訪ねたミャンマー人で、地元で日本語学校をやっていた。流暢な日本語を話し、日本への思い入れも深い。既に80歳ぐらいだろう、元気であろうか。彼の自宅で見せられた第二次大戦中従軍看護師だった人の手紙は、今でも脳裏に焼き付いている。既にインパール作戦も歴史となり、その戦いを知る人も少ない。彼自身も日本軍に連れられて、インパール近くまで行ったという。少年兵というか、軍族というか。貴重な体験を日本語で語ってくれる極めて貴重な人である。


街の外れにあるウラミットさんの家へ向かう。街中にはフォトスタジオなるものがあり、ミニスカートの女の子の写真がでかでかと飾られる。こういう所を見るとミャンマーも変わってきている。今でも田舎ではロンジーが主流だが、若い子達はジーンズに変わってきている。


そして郊外へ出ると、何とゴルフの練習をしている人々がいた。確かにここガローはイギリス植民地時代の避暑地であり、ゴルフ場が存在している。それでも一般のミャンマー人がゴルフをする姿は想像できなかった。彼らは一般人なのだろうか、それとも軍人だろうか、それともプロを目指す人々なのだろうか。


ウラミットさんの家は変わっていなかったが、門は閉ざされていた。何度か呼ぶと女性が出て来て、ウラミットさんはヤンゴンに居ると、告げられる。この女性はお嬢さん、現在は留守番をしているという。日本語学校はウラミットさん不在で実質的に閉鎖されていた。病気をされた、との話も聞いていたが、元気だそうだ。会えなくて残念。


街に戻り、夕飯を。まだ5時半だが、最近は慣れてきた。今日はシャンヌードル、但しスープは別にもらい、何と豆腐ペーストを絡めて食べる。これも美味しい。少し酸っぱい漬物を頬張ると、どうしてもお替りしたくなる。今度はスープヌードルを頼む。でもなぜか量が少ない気がする。後で聞くと私の食べ過ぎを懸念したTAMが麺の量を半分にして頼んでいた。何とも気が付く人である。


腹が一杯になったがまだ明るいので、散歩へ。お決まりのお寺へ行く。このお寺、丘の上にあり、階段がきつい。いい運動になったが、息が上がる。お寺が見えるとホッとした。そして眼下を見下ろすと、いい景色が見えた。まさに腹ごなしにはいい。ヤンゴンでは一度もお寺に行かなかったことに気が付く。7年前は暇があると行っていたのに、みんな忙しくなり、携帯を振り回して働いていた。ミャンマーはやはりお寺が落ち着くのだが。


翌朝ホテルをチェックアウトし、車でガローホテルへ向かう。何となくもう一度見ておきたかった。100年以上前にイギリスが作ったこのホテル。相変わらずいい雰囲気を持っていたが、昨晩の宿泊客はゼロだったという。周辺には新しいホテル、ロッジなどが沢山出来、避暑地としては発展してきている。

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《須賀 努》

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