【ホンダ N-ONE 発売】マイカーの夢を持たせてくれた…N360を振り返る

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ホンダ・N-ONE発表会
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  • 本田技術研究所四輪R&Dセンター開発責任者の浅木泰昭氏
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ホンダから発表された『N-ONE』は、1960年代に大ヒットした軽自動車『N360』の直系にあたるモデルである。

本田技術研究所四輪R&Dセンター開発責任者の浅木泰昭氏は、「N-ONEは、N360のデザインモチーフや基本パッケージの考え方を現在に蘇らせたヘリテージカーです。しかし、どんなクルマでも蘇らせたらいいとは限らない。魅力のないクルマは蘇らせてもゾンビカーになってしまうので、ベースがどういうクルマだったかが非常に大事になります」という。

「日本が戦争に負けて、皆自信を無くしていた時代。そういう時に本田宗一郎は二輪の世界でマン島TTレースをはじめ、レース界で勝っていきました。さらに、レースの最高峰といわれるF1でも対等に戦っていく。日本人も出来るんだという自信を取り戻していく、非常に大きい役割を果たしました」という。

さらに、「当時の通産省は日本には自動車メーカーが多いので、ホンダは二輪だけ作っていてもらえないかといわれたのに対し、猛反発しホンダは四輪も作るんだと認めてもらいました。また、ボディカラーの赤も、運輸省に消防車の色だから使えないといわれたところを掛け合って、使えるようにしたのです」と述べ、「このような既存のしがらみを破っていく会社、そういう人だと思われていました。そういう中で満を持して出したのが『N360』です。当時としては画期的な31馬力。高速道路が出来始めた時に、軽自動車で高速道路を走れるクルマなんてなかったものを実現したのです」

実用性においても、「当時としては珍しいFF方式を利用して、それまでの軽は膝を抱えて頭を傾けないと大人4人がなかなか乗れませんでしたが、N360は4人乗れる十分な広さがあります。価格も他と比較し圧倒的に安かったのです」

浅木氏もまた、N360に親しんだ一人だった。「自分が小学生の頃、最初に来た乗用車がN360でした。皆がマイカーを持てるようになれると、ワクワクしてこのクルマを見ていたのです。さらに、自分より上の団塊の世代の方は、青春真っ盛り。自分のクルマとしてこれが持てるのではないかと目を輝かせて見ていた。そういうクルマだったのです」と振り返った。

《内田俊一》

内田俊一

内田俊一(うちだしゅんいち) 日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員 1966年生まれ。自動車関連のマーケティングリサーチ会社に18年間在籍し、先行開発、ユーザー調査に携わる。その後独立し、これまでの経験を活かしデザイン、マーケティング等の視点を中心に執筆。また、クラシックカーの分野も得意としている。保有車は車検切れのルノー25バカラとルノー10。

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