東京・羽田空港で11日から12日の一夜を過ごした利用者は、想像を超える数だった。
「12日の朝4時30分現在で、第一と第二ターミナルあわせて1万2100人程度が空港内に留まっていました」と、空港ビルを運営する日本空港ビルディやング広報担当者は話す。
11日16時30分発の熊本便で我が家へ戻ろうとしたAさん(60)も、空港で夜を明かした一人だった。空港へは離陸予定の2時間前に到着。搭乗手続きのためにカウンターに近づいた瞬間、あの地震が襲ってきた。
「立っていられなかったね。思わず座り込んだ。揺さぶられながら、天井を見上げて心配したよ。あれが落ちてこないかと思って」
通称ビッグバードと呼ばれる旅客ターミナルは、十分な採光を取り入れるために天窓の上にプロペラをモチーフにした天井がある。その揺れが気になったのだ。
「眠れないよ。朝方にも大きな揺れがあったでしょ。寝てると余計に揺れてるのわかるから」
羽田空港は地震発生で欠航が相次いだが、機能が失われたわけではなかった。点検作業後、当日16時3分には完全運用を再開。しかし、それが空港難民を増やす結果につながった。
Aさんのように地震で羽田を飛び立てない乗客に加えて、運用再開で地方から羽田へやってくる乗客が増えたが、都内へ向かう列車は、モノレールも含めてすべて止まっていた。首都高速の閉鎖で、一度空港を出たタクシーはなかなか戻ることができなかった。陸の孤島になった空港に利用客だけが増えた。
同日20時4分、国土交通省は羽田行き航空機の受け入れを停止して、乗客が滞留するのを防ごうとした。しかし、押し込められた乗客は、そこに留まるしか選択肢はなかった。
「ホテルを探そうにも外に出る手段がない。タクシーすら1台も止まってないんだから」
ソファからあふれた乗客は、壁際の隅の床に、そこからもあふれたらチェックインカウンターの前に寝るしかなかった。Aさんの居場所が、まさしくそこだった。空港ビルは毛布4000枚を配布したが、足りずにダンボ-ルを敷いて寝た人もいた。
「私は毛布は借りなかった。着替えにくるまって寝た。しかし、疲れたよ」
それでもAさんは、地震の直後に予約変更ができたから、まだましだったかもしれない。一夜明けた空港には空席待ちのための行列が長く伸び、その行列の足下には、疲れ切って寝てる乗客がいた。
「もうこうなったら待つしかない。どうしようもないんだから」
多くの利用者の表情に疲労が色濃くにじんでいた。