気になるニュース・気になる内幕——今日の朝刊(朝日、読売、毎日、産経、東京、日経の各紙・東京本社発行最終版)から注目の自動車関連記事をピックアップし、その内幕を分析するマスコミパトロール。
2002年7月12日付
●淡路の自動車道、多重衝突3人死亡、40人以上重軽傷か、バス含む9台(朝日・1面)
●景気判断情報修正、自動車など円高や雇用削減逆風、好材料なし「持ち直し本当?」(朝日・11面)
●道路民営化の委員が現場視察「国民納得の高速道?」(読売・1面)
●自工会選出、バイク似合う有名人、V6の長野さん(読売・11面)
●広島東洋カープオーナー、元東洋工業(現マツダ)社長の松田耕平氏死去(読売・39面)
●日産系・カルソニックカンセイの大宮工場を来年10月に閉鎖(産経・9面)
●燃料電池車、GMが日本で公道実験(日経・11面)
●国土交通省、ハンドル連動にあわせ、動く前照灯の導入決定(日経・38面)
●トヨタ、ホンダなどリコール(日経・38面)
ひとくちコメント
元東洋工業(現マツダ)の社長で、広島東洋カープオーナーの松田耕平氏が、10日午後4時51分、胃ガンのため東京都内の病院で死去した。80歳だった。きょうの各紙が社会面の訃報欄のほか、スポーツ、経済面などで取り上げている。
マツダを自動車メーカーに育てた創業者の松田重次郎氏の孫で、2代目社長の恒次氏の長男として生まれた。副社長時代には世界初のローターリーエンジンの実用化に成功。70年に社長に就任したが、当時はドルショックや第一次石油危機で国内の自動車市場が縮小に向かい、経営の路線転換を迫られる時期にあたっても、輸出の拡大など強気の経営姿勢を崩さなかった。
その拡大方針が逆に悪化を招き、旧住友銀行のテコ入れ、フォードへの傘下入りにつながった。「マツダが最も逆風にさらされた時代に苦闘を重ねた経営者でもあった」(読売)が、その後遺症から未だ回復の兆しがみえないで、急逝してしまったのは心残りだろう。