【池原照雄の単眼複眼】トヨタ300万台死守には痛みも伴う

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3月にセントラル自動車宮城工場を視察に訪れたトヨタの豊田章男社長
  • 3月にセントラル自動車宮城工場を視察に訪れたトヨタの豊田章男社長
  • トヨタ・ベルタ(関東自動車製)
  • トヨタ・ラクティス(関東自動車製)
  • トヨタ・カローラアクシオ(セントラル自動車製)
  • トヨタ/セントラル自動車宮城工場
  • トヨタ/セントラル自動車宮城工場

豊田社長が明快に決意表明

トヨタ自動車が国内生産の強化に向け、車体メーカーと部品子会社の再編に乗り出す。この方策により、豊田章男社長は国内生産300万台を守り抜く方針を明快に打ち出した。再編ではグループ3社の統合も行われるが、雇用は維持する。

豊田社長は国内生産の死守により、外貨獲得と雇用への貢献という自動車産業の責務にも言及、「(現状の環境下での生産は)理屈に合わないが、石にかじりついてでも頑張りたい」と語った。外国の投資家には理解し難いだろうが、リーディングカンパニーの決意は日本の産業界を勇気づける。もっとも、300万台維持への道のりでは工場の統廃合など、痛みの伴う決断も不可避となる。

トヨタは昨年5月から国内外での生産体制再構築の検討に着手し、1年余りをかけて最も事業環境の厳しい日本での再編策を決めた。結論は中部、九州、東北の「3極体制をさらに強固に」(豊田社長)するとともに、すでに一定の開発力も有している車体メーカー各社の自立化を促し、得意分野で力を引き出す機能をもたせることだった。

◆「ヨタハチ」のように車体メーカーが企画から担う

地域軸では最後発の進出地である東北のテコ入れが必要と判断。岩手工場(金ケ崎町)を有する関東自動車工業、宮城工場(大衡町)を今年稼働させたセントラル自動車、さらに部品製造のトヨタ自動車東北(宮城県大和町)の3社を2012年7月に統合する方針とした。

機能軸では、特定モデルで設計以降の開発を担ってきた車体メーカーの自立化を促進するため、商品の企画段階から生産に至るまでを「スルーで担ってもらう」(豊田社長)こととする。「ヨタハチ」の愛称で知られ、1965年(昭和40年)に発売された『トヨタスポーツ800』は、初代『カローラ』の開発主査だった故長谷川龍雄氏(元トヨタ専務)とともに関東自工が企画段階から手掛けたモデルだ。

車体メーカーには、そうした活躍の場が広がるが、トヨタ本体との連携を密にしていく必要もあり、トヨタ車体と関東自工は2012年1月にトヨタの全額出資子会社とする。トヨ車と関東自工は車両開発だけでなく、生産技術面でトヨタの海外工場への支援も行ってきた。今後はそうした機能もさらに活用し「オールジャパンでオールトヨタを支える体制」(同)を強めたい考えだ。

◆関自・東富士工場は東北への移管が自然の流れ?

一方、国内300万台の死守には痛みも伴う。トヨタの国内生産能力は、人員を増員すれば現状でも年400万台は造れるレベルにある。昨年来、愛知県では高岡工場(豊田市)の一部ライン停止や田原工場(田原市)のライン統合を進めているが、生産担当の新美篤志副社長は「いずれ、(追加的に)いくつかのラインを廃却することになると思う」と指摘する。

そうでないと今年度の営業赤字が4000億円に達する見込みの単独業績の黒字転換はおぼつかない。一部ラインの廃却はトヨタの工場だけでなく、車体メーカーについても同様だ。来年7月に3社統合で発足する「新生トヨタ東北」の中核企業となる関東自工には、1967年(昭和42年)に操業開始した東富士工場(静岡県裾野市)がある。

統合による新会社が「東北地域でコンパクトカー主体の一貫メーカー」になるという構想からは、関東自工の東富士工場は、東北への移管・統合が自然の流れに見える。同社の服部哲夫社長は「(3社が)一緒になるからといって、今の時点ではどこをどうするということは決まっていない」と話すが、果たして…。

《池原照雄》

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