エリオ・ザガート死去 カロッツェリアとして、ジェントルマンドライバーとして

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カロッツェリア・ザガート創業家のエリオ・ザガートが14日に死去した。88歳だった。エリオは、ザガートの創業者ウーゴ・ザガートの息子。

若き日はドライバーとして活躍した。1947年、父親から大学卒業祝いとして贈られたフィアットのスペシャルで、ミラノに隣接するピアチェンツァのレースに出場。続いて、ミラノのプライベート・レーシングチーム「スクデリア・サント・アンブロエウス」の設立にも参画した。

当時はファンジオ、ヌヴォラーリ、アスカーリなどが活躍していた時代で、エリオはエンツォ・フェラーリから「ザガティーノ(イタリア語でザガートの倅)」の愛称で呼ばれていたという。

現役中に150のレースに参戦。GTカテゴリーで世界タイトルを5回獲得したほか、タルガ・フローリオ、インテルエウローパ、コッパ・ドーロ・デッレ・ドロミティなど、計82回優勝した。1955年にはベルリンのAVUSサーキットで行なわれたレースでも優勝した。

カロッツェリアとしては1950年代、彼が最高傑作に挙げていたフィアット『8Vザガート』をはじめ、レースでそのライバルとなったアルファロメオ『1900SSZ』、さらにフェラーリ『250GTZ』、マセラーティ『A6G』、アストンマーティン『DB4GTZ』などを手がけた。

また、名デザイナーとして知られるエルコーレ・スパーダとともに、アルファロメオ『SZ』、『TZ』、『TZ2』、さらに『アッピア』、『フラヴィア』、『フラミニア』、『フルヴィア』をベースにしたスポーツモデルを製作した。

さらにエリオは父ウーゴとともに、ザガートを象徴するダブルバブル(ふたこぶ)ルーフ、ボディ後端を断ち落として空力性能を向上させたコーダ・トロンカ、プレキシグラスなどを導入したほか、今日に続くザガートのロゴマークも手がけた。

なお、1970年代に生産工場部門の立ち上げに尽力したジャンニ・ザガートはエリオの弟。

1993年に会社が経営危機に瀕し、息子で現在ザガートCEOのアンドレア(49歳)に経営を委ねてからも、ときおり会社に顔を出していたという。

若き日のエリオ・ザガートは、平日は車両の開発に従事し、週末にレースでその性能を確認する日々を繰り返していたという。実業家とレーシング・ドライバーを兼ねていた時代であり、エリオの他界は今日イタリア自動車界に残っていた数少ないジェントルマン・ドライバーが一人消えたことを意味する。

なお奇しくも今年は、ザガートの創立90周年であった。

《大矢アキオ Akio Lorenzo OYA》

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