【都会の廃線をたどる】終着駅に建立された石碑…目黒蒲田電鉄奥沢線 2枚目の写真・画像

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奥沢線の終点・新奥沢駅跡に建立された、その名もずばり「新奥沢駅跡」の小さな石碑。人目をはばかるようにひっそりと建っていた。
《撮影 草町義和》 奥沢線の終点・新奥沢駅跡に建立された、その名もずばり「新奥沢駅跡」の小さな石碑。人目をはばかるようにひっそりと建っていた。
奥沢線の路線図。池上線を運営していた池上電気鉄道が、目黒線や東横線などを運営していた目黒蒲田電鉄の勢力圏に「侵入」するルートで開業したが、わずか7年で廃止された。
《作成 草町義和》 奥沢線の路線図。池上線を運営していた池上電気鉄道が、目黒線や東横線などを運営していた目黒蒲田電鉄の勢力圏に「侵入」するルートで開業したが、わずか7年で廃止された。
新奥沢駅は、東急東横・目黒線田園調布駅から歩いて10分ほどのところにあった。写真の駐車場あたりに駅舎があったようだ。右下には「新奥沢駅跡」の石碑がある。
《撮影 草町義和》 新奥沢駅は、東急東横・目黒線田園調布駅から歩いて10分ほどのところにあった。写真の駐車場あたりに駅舎があったようだ。右下には「新奥沢駅跡」の石碑がある。
新奥沢駅構内の線路とホームがあったと見られる路地。民家が立て込んでいて、駅の名残らしきものは見当たらない。
《撮影 草町義和》 新奥沢駅構内の線路とホームがあったと見られる路地。民家が立て込んでいて、駅の名残らしきものは見当たらない。
新奥沢駅跡付近から雪が谷大塚方向を望む。道路左側の住宅地が奥沢線の線路跡地のようだが、ここも線路の名残は見られない。
《撮影 草町義和》 新奥沢駅跡付近から雪が谷大塚方向を望む。道路左側の住宅地が奥沢線の線路跡地のようだが、ここも線路の名残は見られない。
地下化後に復元された、東急東横・目黒線田園調布駅の旧駅舎。当初は池上線と田園調布駅を結ぶ調布線として計画されたが、同駅への乗り入れは果たせなかった。
《撮影 草町義和》 地下化後に復元された、東急東横・目黒線田園調布駅の旧駅舎。当初は池上線と田園調布駅を結ぶ調布線として計画されたが、同駅への乗り入れは果たせなかった。

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