前回の記事では、TESLAなどの新興ブランドやMercedesなどのプレミアムブランドで車載コンテンツが多様になっているものの、それらはスマホ等のアプリケーションの応用に留まっているという点を指摘した。YouTubeを観ることができたりゲームができたりするが、それらのコンテンツは、今後の車内空間の進化を十分に生かしたものでもなければ、自動車を利用する価値そのものを高めるものとも異なると思われる。今回のコラムでは、自動車ならではのコンテンツの可能性について検討したい。
1.自動車の特徴を活かしたコンテンツ
まず、自動車の特徴について改めて整理したい。多種多様なデバイスが身の回りにあるなかで、スマホやPC、テレビや家庭用オーディオ機器にはない特徴が自動車にはある。まず1点目は、何よりも移動することだ。車輪があり、エンジンまたはモーターがあり、身近にある製品の中で唯一数十キロメートル以上を人力に依らずに移動することができる。遠くにある目的地に到達することができるし、その間は人力では出せない速度を体感することができる。2点目は空間であることだ。乗用車であれば人間が4~5人以上入ることができる。これは、家屋やテントを除けば自動車だけの特徴だ。3点目は個室であることだ。所有者や利用者の許可なく知らない人が入ってくることはまず起きず、プライベートな場所として用いられる。
言わば当たり前のことを整理したが、前回や前々回の記事の内容で触れたように、今後、車内のHMI機器やバイタルセンシングの進化が起きる。これらのハードウェア面の進化が起きることで、上記の自動車の特徴が改めて重要になると考えられる。
まず3点目の個室であることについて考えたい。狭小な場であり、電子機器の至近距離に人間がいることで、バイタルセンシングは非常にしやすくなる。すでに自動運転技術の一部実装と相まって、表情分析をするためのカメラの搭載が始まっている。これは、運転者の目の前にカメラを搭載することができるためだ。また、AIスピーカーの導入とともに、声音の分析が導入されようとしている。これも個室で常に声を拾うことができるためだ。さらに今後検討が進められているのが、体温や心拍、呼吸の状態などのセンシングだ。赤外線センサなどによって、センサから至近距離にいる人のデータを取ることができるようになる。シートやハンドルに電極を埋め込むことで、将来的には心電を取ることができるかもしれない。このように、個室であることによって搭乗者の状態の把握が可能になると考えられる。
次に、2点目の空間であることはデジタルコンテンツの表現の幅を広げることになる。一枚の画面で構成されるスマホやテレビと異なり、複数のディスプレイ等で人間を囲うことが可能になる。特に、前々回触れた車窓のディスプレイ化が進むことで、全天空型の映像環境が実現する。後述するように、車窓の形式にARオブジェクトを表示するという使い方ができるようになる。空間の広がり方や反射音に配慮することで、音響も全天空型となり音質も高まる。すでに一部のプレミアムブランドでは始まっているが、空気成分の調整や芳香制御も今後進むだろう。
このように、空間であることによってHMIの可能性が広がり、全天空型の映像・音響機器などにより五感を強く刺激する機能が実現すると考えられる。また、このように全天空型のHMIになると、受動的なコンテンツ体験ができるという特徴が出てくる。つまりパソコンはもちろんスマホですら、利用者が自らそのデバイスを使用しようという意志を持たなければコンテンツを利用できない。一方で全天空型の環境であれば、利用者の意志とは関係なく表現することが可能になり、見るとはなしに、聞くとはなしに見たり聞いたりできるようになる。
最後に、1点目の移動することについて改めて考えたい。この特徴は自動車の価値そのものだ。製品の価値を中核的価値、基本的価値、付随的価値の3つに分ける「コトラーのプロダクト三層構造」では、自動車の中核的価値は移動できることというのが一般的な見方といえる。コンテンツは、本体となるハードウェアの存在価値を高める役割を担う。例えば演算機であったパソコンは演算を中心にソフトが発展してきたし、母なる電話機と父なるパソコンの子どものようなスマホは、コミュニケーションツールがアプリの本質とも言われる。