スタート直後の3番手から順位は一気に50番手前後へ。しかし、まだ11時間も時間は残っている。第2スティントを担当する大川にとっては、生まれて初めてツインリンクもてぎを走るだけに、余計なプレッシャーもかからずに丁度良かったのかもしれない。
大川謙治と聞いてピンとくる人は、かなりの“AR通”かもしれない。彼は大阪でアルファロメオを中心としたスペシャルショップ「ユニコルセ・エンジニアリング」の代表取締役。同社が企画・製造する各アルファロメオ車に対応するパーツは、そのクオリティとともに高いセンスがウリである。昔話をすれば、90年代にアルファロメオ『155 D2』をJTCCで走らせていた伝説のチームこそ、ユニコルセの前身にほかならない。
そういえば、ユニコルセにとってJTCC最後の参戦年、阪神淡路大震災直後に155 D2のフロントウインドウに「がんばろう神戸」の切り文字が貼られていたことを思い出す。そんな大川に今年3月の東日本大震災のことを聞いてみた。
「3月11日の地震の時は、たしか車を運転していたと思います。しばらくたってから、車のテレビで地震のことが報道されはじめて、本当にビックリしました。時間が経つにつれ、どの放送局も地震のことばかり。夕方には津波の映像が流れ、社内でも地震の話題ばかりしていたことを思い出します」
「被災地に向けた支援活動は、同じクルマ業界の復興募金に協力しただけでほとんど何もできていませんでした。『同じ日本人が大変な思いをしているのにそれだけでいいのか?』という気持ちがいつもあって、正直胸の中は苦しかったです。阪神淡路大震災のときにも関西以外の地方からいろいろ助けてもらいましたが、何かしたくてもできない人もたくさんいたはず。きっとこんな気分だったのでしょうね……」
大川の走りに話題を戻そう。彼は走れる社長なのだ。自称「僕」も大川のチームでホビーレースに参戦していた時期があるが、ドライバーの声を聞くことでセットアップを進めていく態度がプロフェッショナルで、その重要性をずいぶんと学ばせてもらったことが思い出される。
その大川が絶賛したのが、ブリヂストンのラジアルタイヤRE11だった。「久しくラジアルタイヤでサーキットを走っていなかったので、ラジアルタイヤの進化にびっくりしました」と。
「僕がラジアルタイヤで嫌いなところは、Sタイヤ(市販レーシングタイヤ)に比べブレーキが利かないところ。そりゃSタイヤとは、グリップ力や剛性力が歴然と違うと思うのですが、このRE11は、ホンマにすごい! とにかくストレートエンドのブレーキングで他車をズバズバ抜けちゃうんです。初めて走ったサーキットなので、僕が慣れているとかではなく、ただただRE11が凄いんだと思います。一瞬『俺って、上手いんちゃうん』って誤解してしまいました(笑)」と、大川のご機嫌な走りでポジションは35番手前後に回復。
続いて関西でホビーレースを人生の趣味として楽しむ萬代が乗り込み、きっちりと20番手前後まで順位を上げて帰ってきた。レースは開始からまだ3時間を経過したばかりである(文中敬称略)。