5 | ピニンファリーナの参加 |
2008年12月、ワンオフ・フェラーリ『SP1』が誕生した。オーナーは平松潤一郎(フェラーリクラブ・ジャパン元会長)だ。平松はSP1の製作をタイリアのデザインスタジオ、フィオラバンティを依頼、さらにフェラーリの正式な認可を得るための会議が予定された。
06年11月、平松はトリノのフィオラバンティ・スタジオで事前打ち合わせを済ませると、マラネロのフェラーリ本社を訪れた。フェラーリとの最初のミーティングであるこの場で、ワンオフ・デザインへの熱い想いをプロジェクトリーダーであるマッシモ・フマローラに直接伝えたのであった。
この時点でフェラーリ側は07年5月までに全体構想をまとめ、デザインを提示することを約束した。その後フェラーリ側から文書で、契約はフェラーリ社と結び、デザイン開発は平松の意向に沿って進めるが最終決定はフェラーリが行うことなどを伝えてきた。
そしていよいよ07年5月、フェラーリ本社内の会議室で、フマローラとデザイン担当のドナート・ココにより、平松へのプレゼンテーションが行われた。フィオラバンティ・スタジオのスケッチのほかに、ピニンファリーナのスケッチが数案ずつ準備されていた。
だが、せっかく追加されたピニンファリーナ案はいずれもアドバンスしておらず、平松は困惑した。現行の『F430』より魅力が乏しかったのである。平松は冷静に各案の印象と欠点をフマローラに指摘し、フィオラバンティの案の中から最も先進的でシャープなデザインを選んだ。
フマローラもそれを了承、次のプレゼンテーションを8月に行うこととし、フィジビリティ(実現可能性)とデザインの詳細を検討したレンダリング(完成予想図)の提示を約束した。
-- 続く --プロジェクト最大の危機