三井本館が、開館80周年

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大手不動産会社の三井不動産は、同社が所有し管理・運営する同社のシンボル的ビルである「三井本館」(東京都中央区)が開館80周年を迎えた6月15日に、同館内外を報道陣に公開した。

日本の国道の起点となる日本橋に隣接する日本橋室町地区に、「三井越後屋呉服店」(現在の三越百貨店)が1873年に開業して以来、この地域は三井グループの拠点となった。そして20世紀近代日本の産業振興を担って建てられたのが、本格鉄骨構造、1902年開館の「旧三井本館」だ。しかし23年の関東大震災により建物はダメージを受ける。

当時三井家当主であった團琢磨氏により、新たに本館となる5階建ての三井本館」が29年6月15日に開館した。当時の建設費は2131万円。現在の金額に換算すると約1000億円にもなる巨費が投じられた。建物のデザインコンセプトは、三井財閥の象徴と世界にも通じる三井グループのシンボルとして、「壮麗」「品位」「簡素」を特徴とした。その具体例が建物外観のコリント式と呼ばれる列柱であり、当時の欧米諸国で採用された建築物スタイルを採用している。

完成時には三井財閥の中心企業となる三井合名会社はじめ、金融の三井銀行、商社の三井物産、石炭産業の三井鉱山(現日本コークス)などの本社が入居していた。

そのなか三井家代々当主が使用したのが、最上階にある角部屋の500号室。面積は約37平方mとそう大きくないが、国内はもとより世界市場を相手にした大型地球儀や銀製のタンカー模型などが置かれ、本館要の部屋となった。第二次大戦後は進駐軍高官の部屋にもなった。現在は保存スペースとして、利用はまれとのこと。

館内移動については80年前のビルらしい、大理石などが施された重厚で暗めの廊下が印象的。現在のビルと比べると格段の変化である。1998年には国から重要文化財の指定を受けている。となれば使用にあたっていろいろ制限は受けるが、昨今のバリアフリー設備については、“稼動する文化財”として当局の特例を得ている。

三井本館のハイライトは何といっても、三井住友銀行が使用する3階分吹き抜けの店舗エリアであろう。内部にも円柱形の柱を用いるが、気持ち膨らみ感がありそうなドリス式が整然と並ぶ。もしも銀行業務に必要な設備を撤去したら、幾何学模様が施されたフロアが現れ、天井のデザインもあって、今にも舞踏会がはじまりそうな大空間が広がる。

興味深かったのが、その下にある地下の大金庫である。とても80年前に据えられたとは思えない、特殊合金と安全性を感じるデザインの扉の奥には、取り引き企業や個人の財産や貴重品が保管されている。米国製で、扉全体で50tの重さ。さらに扉の厚みは55cm、直径250cm。

三井不動産では三井本館の80周年とともに、三井グループ発祥の地として、かつ街づくりの中心として、日本橋室町地区の再開発事業を進める。

「私どもは単なるスクラップ&ビルドの街づくりではなく、“残しながら、蘇らせながら、創っていく”を、この日本橋再生計画(のコンセプト)にしている」と語るのは、プロジェクトリーダーの三井不動産日本橋街づくり推進部の中川俊広部長。地上付近を中心に賑わいのある街づくりや江戸下町の風情や店舗などを、10年秋には実現する予定。11年には日本橋架橋100周年も迎える日本橋の街づくりに貢献するだろう。

《浜田拓郎》

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