「羊の皮を被った狼」という表現が、車愛好家の間でよく交わされる。しかしこの言葉とは裏腹に、羊であることを隠しておくことは意外と難しい。従来であれば乗り心地が固くなり、ステアリングも重くなることは避けられなかった。また中身が狼だと外見も羊ではなく犬くらいには見せたくなるのが人情だ。私なら、ひけらかしたくはないけれど、どこかに狼を匂わせるエッセンスを入れ、周囲から犬くらいには見てもらいたい。それが一般的なクルマ好きの感覚ではないかと思うのだが、Audi RS 3 Sportsbackに関しては、あえて何とか羊に見せようと努力をしているように感じた。

取材前夜、担当の編集者が自宅までAudi RS 3 Sportsbackを届けてくれた。それで当日、玄関を出て初めて日差しの下でよく見たのだが、拍子抜けするほど普通のAudi A3に見えた。367馬力を発揮するすさまじい加速力を持ったスーパースポーツであるエッセンスは、ダウンした車高、左右出しの大型オーバルマフラー、そして比較的大きめの排気音量くらいしかわからなかった。内装に関しても通常のAudi A3とさほど変わらない。Audiらしい繊細な仕上がりでとくにスーパースポーツを印象付ける所作は見当たらなかった。

自宅を出て住宅街をゆっくりしたペースで走る。乗り心地は若干固め。それは車高25mmダウン、引き締められた足回り、235/35-19インチの超扁平タイヤにより持たされたものだが、それとてスポーツ仕様にありがちなポンポン跳ねるようなことはなかった。ボディ剛性の高さとダンパーのセッティングのよさを感じた。Audi A3ベースなので取り回しもよく、狭い世田谷の抜け道を通って首都高速永福インターに至るまで、さほどアクセルペダルを踏まなかったこともあるが、いたって普通で「本当にこれはAudi RS 3 Sportsbackなのか、編集者が何かの間違いをしでかしたのではないか」とさえ思ったほどだった。

ところが、永福の料金所でアクセル全開、フル加速してみたところ、印象が一変。367馬力、0-100加速4.3秒は伊達じゃない。一瞬でレブリミッターの指針が跳ね上がる。それでいて車体が暴れることもなく、安定して一直線に加速していく。これはフルタイム4WDシステムquattroが全輪のグリップ状態を把握して状況により後輪に50～100％で適格に配分して最大のトラクションを掴む効果だ。

従来であれば、すさまじい加速を得るには暴れるタイヤと車体をドライバーが押さえつけて格闘するような、額に汗をかくいわば「スポーツ」を強いられた。それもスーパースポーツを運転する楽しみの一つだと私は思うのだが、Audi RS 3 Sportsbackに関してはその方向ではなく、平然と何事もなかったような顔をしつつも、足元ではすさまじい加速が行われているのである。

Audi RS 3 Sportsbackは日常的使用の際、スーパースポーツであると意識させないこと（つまり普通のクルマに近づくこと）を何よりも心がける。それは周囲を欺いて外観を羊に見せかけることに留まらず、運転するドライバーに対してさえもだ。ストレスを与えることなく普通に運転できることを目指している。具体的にはアクセルペダルの踏み込み量が少ないときは、フライバイワイヤーのスロットルコントロールにより、リニアには連動させずスロットルの開度を抑える。

だがひとたびドライバーが強烈な加速を欲してフルスロットルを与えた際は、待ってました！とばかりに、狂喜が混じった輝きの表情で、加速力を爆発させる。優等生もやるときはやる、という意志だ。

私としては800万円の大枚をはたくなら、それをどこかで表現したいと思うタイプだが、Audi RS 3 Sportsbackを選んだ人の意識は外には向いていない。私はクルマは単なる移動の道具ではなくパートナーだと考えているのだが、Audi RS 3 Sportsbackのオーナーは、さらにその先、クルマと自分のキャラクターが同化し、もはや自分自身を映し出す鏡＝クルマなのではないか。やるときはやるというキャラクターを持ち、でもその内面は決して表に見せる気はない。いわばクルマと言うよりも自分の生き方や心の声の代弁者としてクルマを捉えるのだ。

ところで、愛好者の間で「嫁バレ」という言葉もよく交わされる。Audi RS 3 Sportsbackなら奥様が運転しても、アクセルを全開にしないだろうから、狼の本性に気づかれないだろう。嫁バレせずに歓喜の加速を味わう。そんな楽しみもあるだろう。クルマ好きにもいろいろなタイプがいるもので、だからこそクルマは面白い。