top interview by Teruo Ikehara
「豊田綱領」は永久に生き続ける
――06年モデルで米国の価格を値上げしました。ビジネス上の判断という側面のほか、苦境に立つ米業界へのメッセージでもあるようですが。

渡辺 価格そのものは、市場、われわれの収益、原価がどうなるかという総合的な判断によって決めるのです。評価はこれからで、ビッグ3は違う方向に価格を決めましたから、8月の推移を注意して見なければと思います。

――米国の事業規模からも日米関係には神経を使いますね。

渡辺 意識しておいた方が無意識でやるよりずっといい。私どものお客様がたくさんいらっしゃる市場ですから、そこの経済環境とか社会環境はきちんと承知しておかねばならないと思います。その情報を取りながら適宜、適切な対策をとっていくのはすごく大事です。価格だけの話でなく、われわれはGM(ゼネラル・モーターズ)とFC(燃料電池)で何かできないかと相談する。これは協調の部分です。協調と競争は常にあるわけですから、それぞれの国の状況を十分承知しながら手を打っていく。これは米国に限ったことではありませんし、それぞれの地域で市民権を得られるかというのもそこにあるような気がします。

――奥田碩会長は豊田家を「旗」だと表現していますが、渡辺社長にとっての創業家は。

渡辺 私も「旗」論は大好きで、全然否定しません。私自身の感覚からいくと「豊田綱領」(1935年制定)というのは素晴らしい考え方であり、あの考え方は永久に生き続けると思います。「上下一致して」とか「産業報国」、「時流に先んずべし」とかいう言葉が好きで、自分なりにそれを置き直しています。私自身は豊田綱領をすごく大事にしたいと考えています。

――そうした言葉がトヨタの求心力にもなっていると。

渡辺 考え方、哲学が脈々とつながっている。それをその時代その時代に置き換えてマネジメントしていくことが大事なのです。

――豊田章男副社長は、渡辺社長が後継もにらみながら育成するというのが現実の姿だと思うのですが。

渡辺 私はそういう見方をあまりしていません。8人の副社長がそれぞれの分野をもっているので、ベストを尽くしてほしいと。自分の分野でベストを尽くすには他の分野とのかかわりを徹底的に詰めなければならない。私を含む9人できちんとチームを作って、それぞれの分野をやりながら、他の分野にもどんどん意見し口を出していく。豊田副社長はそのうちの1人で、商品企画とか情報通信とか調達とか大変重要な分野を担当してもらっています。すべてにかかわりあいながら、お互い刺激しあうことでみんなが成長し、会社を良くしたい。で、次はどうなるのということでしょうが(笑)、それはその時が来れば、最適の方が選ばれれば良いと。正直、いまから(後継者について)意識はしていません。意識すべきことではありません。
渡辺捷昭
渡辺捷昭(わたなべ・かつあき)
1964年慶大経済学部卒、同年旧トヨタ自動車工業入社。人事、総務、購買、秘書、経営企画などに従事、92年トヨタ自動車取締役、96年元町工場長、97年常務、99年専務。調達担当として00年に新機軸の原価低減活動「CCC21」をスタート。01年副社長、05年6月社長。最初の配属は厚生課で従業員給食を担当。当初はくさったというが、QC(品質管理)手法を導入するなど、早くから「カイゼン」魂を身に着けた。経営企画部長時代の92年にはトヨタの憲法である「基本理念」を策定している。大組織を束ねるリーダーシップには奥田碩会長も一目置く。慶大時代はグリークラブで活動し、今なお美声は衰えない。少年時代の夢はプロ野球選手。信条は「明るく、楽しく、元気よく」。愛知県豊田市出身、63歳。
池原照雄
池原照雄(いけはら・てるお)
1977年北九州市立大卒、日刊自動車新聞、産経新聞などで自動車、エネルギー、金融、官庁などを担当。00年からフリー。著書に『トヨタVS.ホンダ』(日刊工業新聞社)。山口県出身。













インタビュアー:池原照雄(経済ジャーナリスト)
写真:竹内征二
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