top interview by Teruo Ikehara
光り輝きたい、見栄っ張りだから
――モータースポーツにはどう取り組んでいきますか。

伊東 残念ながらF1は撤退しました。F1ではわれわれのチャレンジできる領域が年々少なくなっていて、潮時ではあったかなとも思っています。2輪ではモトGPで最近、1年ぶりに優勝してモチベーションが高まっています。間もなくモトGPは往年の姿になっていくと期待しています。

鈴鹿の8耐は、今回のような(プライベートチームへのマシン供給)スタイルがいいのではと、かねて思っていました。モータースポーツは、われわれの技術の証を世間に知っていただくことでもありますので大切です。モータースポーツそのものも(運営方式などが)徐々に変わっていくでしょうし、積極果敢に取り組んでいきます。

モトGP、ペドロサ選手
――就任直後に恐縮ですが、任期を終える時に、ホンダがどういう会社であって欲しいと考えていますか。

伊東 「すごいねホンダ」、「さすがだね」と言われるよう、光り輝いていて欲しいですね。それは製品から来る評価、あるいは運営スタイルから来る評価とさまざまでしょうが、輝いていて欲しい。

ウチの会社は儲かった、儲からなかったということは余り貪欲に思っていませんが、見栄っ張りな会社だから、外から見える姿は気にするところがあります(笑)。「すごいね」とか「面白いねこの会社」と見られたいですね。

伊東孝紳
伊東孝紳(いとう・たかのぶ)
航空機を専攻した京大大学院修了後、1978年に入社。本田技術研究所でボディ設計を中心に初代『CR-X』(83年)や3代目『アコード』(85年)などの開発に従事。98年には米国開発子会社の副社長としてアキュラの初代『MDX』開発にも取り組んだ。2000年ホンダ取締役、03年常務兼本田技術研究所社長、05年鈴鹿製作所長、07年専務4輪事業本部長を歴任して09年6月から現職。90年に初代『NSX』を開発した際には、本田宗一郎氏から「これがアルミか、俺にはできないな」と声をかけられた思い出も。社内では「孝紳」を音読みにした「コーシンさん」で親しまれるが、「『後進』ではまずい」と、本人は余り好まない。静岡県出身、55歳。
池原照雄
池原照雄(いけはら・てるお)
1977年北九州市立大卒。日刊自動車新聞、産經新聞などで自動車、エネルギー、金融、官庁などを担当。00年からフリー。著書に『トヨタVS.ホンダ』(日刊工業新聞社)、『図解雑学 自動車業界のしくみ』(ナツメ社)。山口県出身。

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Page 3小さいが生業になるようなクルマが必要
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