気概、気骨のある人が21世紀の企業には必要だ

――石原、田中、北川知事らの改革への取り組みに今後も期待したいところですが、日本経団連会長の奥田さんには、わが国の閉塞状況を打破するための改革を断行してくれるのではないか、との期待が寄せられています。奥田さんは将来の日本を「内外に開かれた、活力と魅力ある国、外国の人に来て住みたいと思われる国にしたい」とおっしゃっている。それを実現させる具体策を"奥田ビジョン"として今年度内にまとめるそうですね。

奥田 いまはまだ何もできていないが、ビジョンにはいま言われたことは入ってくるでしょう。それに、20世紀はひたすら物資的な豊かさを追いかけてきた。21世紀は経済的な成長も多少は必要だが、心というか精神の豊かさを求める必要があると思う。21世紀を"心の世紀"にしなければいけない。そういうこともビジョンに入れたいと思っている。

――奥田さんは「21世紀は多様な価値観を発展させなければならない」と言っていますが、企業もそういう価値観で人材を集める必要がありますね。

奥田 そう思うよ。いい意味での個性を持った人、それから気概とか、気骨のある人が21世紀の企業には必要だ。会社の中で自分の主張を信じて実現していく。それがいちばん大事な社員ということだね。

――21世紀の企業は、奥田さんのような会社を変えることができる人をトップにした、トヨタの企業風土が必要ということですか。

奥田 (トヨタには)それがもともとあったのでしょうね。

個性的で、気概、気骨(反骨)を持つ21世紀の企業人像とは、奥田氏そのもののようにも思える。奥田氏は1955年(昭和30年)に一橋大学卒業と同時に、旧トヨタ自動車販売に入社した。同期入社は3名。いずれも優秀との呼び声が高かったことから"花の30年組"といわれた。

しかも奥田は、精鋭ぞろいの経理部に配属され、将来を嘱望されていたのである。が、もともと個性が強く、上司に対してシッポを振るようなことはしない強い反骨心を持つ奥田は、仕事のやり方を巡って上司と衝突。経理部に籍を置いたまま、フィリピンの現地法人に"飛ばされて"しまった。マニラ駐在は7年間。異例ともいえる長さだった。出世の道は断たれたといってもいい。

奥田を救ったのは、当時トヨタ自動車工業の副社長だった豊田章一郎だった。章一郎の長女・厚子の女婿である大蔵省(現財務省)の官僚・藤本進がアジア開発銀行に出向し、藤本夫妻はマニラで暮らしていた。章一郎は藤本夫妻をマニラに訪ねたとき、奥田に会った。奥田は"飛ばされた"フィリピンのトヨタ車組立会社「デルタ・モーター」の乱脈経営を立て直す仕事に携わっていた。「デルタ・モーター」の状況を心配していた章一郎は奥田に会い、報告を受けた。(章一郎)は奥田を「実に面白い男だ」と高く評価。1979年に本社に呼び戻した。以後、奥田は一旦断たれた出世の道を再び歩み始めた。

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