ベントレー、国際女性デーに3台の『ベンテイガ』発表…勇敢な3人の女性に敬意

国際女性デーに合わせてベントレーが発表した3台の特別なベンテイガ
  • 国際女性デーに合わせてベントレーが発表した3台の特別なベンテイガ
  • ベントレー・ダイアナ・バルナート・ベンテイガS
  • メアリー・ペトレ・ブルースにちなんだベントレー・ベンテイガ・アズール
  • ドロシー・ペイジェットにちなんだベントレー・ベンテイガ・エクステンデッド・ホイールベース(EWB)マリナー
  • ベントレー・ダイアナ・バルナート・ベンテイガS

ベントレーは3月8日、国際女性デーに合わせて、特別な3台のSUV『ベンテイガ』を発表した。「ベントレー・ガールズ」として知られるメアリー・ペトレ・ブルース、ドロシー・ペイジェット、ダイアナ・バーナト・ウォーカーに敬意を表している。

ベントレーの105年の歴史において、3人の女性が重要な役割を果たした。この3人の女性にインスピレーションを受け、ベントレーの2人のデザイナーがユニークな解釈を施した。「ベントレー・ボーイズ」が速さを競い合った一方で、ベントレー・ガールズは後ろには座らず、独自のスタイルで印象を残した。今回、彼女たちの生き方とその功績を、特別な3台のベンテイガで祝うこととなった。

それぞれの特別仕様は、ベントレー・ガールズの色彩豊かな過去から特別なデザイン要素を取り入れ、現代の車両に反映している。

メアリー・ペトレ・ブルースは、1929年6月6日にフランスのモンルエリでベントレーを駆り、24時間にわたり平均時速89マイル以上で世界記録を樹立した。彼女は記録挑戦の日までベントレーを運転したことがなく、足をペダルに届かせるために公式タイムキーパーからクッションを借りなければならなかった。霧や寒さ、危険な状況にもかかわらず、彼女は24時間で2164マイルを走破した。

彼女にちなんだ『ベンテイガ・アズール』は、彼女のマシンを彷彿とさせるパーソン・グリーン・パールエッセント・ペイントとヘリテージ・ハイドを特徴とし、内装には24カラットの金のオルガンストップや、彼女の有名な言葉を象徴する真珠母貝のクロスバンド・ベニアが含まれている。さらに、チェッカーフラッグのDピラーバッジとブラックライン・スペックが加えられている。

ドロシー・ペイジェットは、通称「ブロワー・ベントレー」の創造において重要な役割を果たした。他の若い女性たちが結婚相手を見つけることを優先する中、ペイジェットは速さとパワーに情熱を傾けた。彼女のモーターレースへの関心はブルックランズを訪れた際に芽生え、ベントレー・ボーイズでレーシングドライバーのサー・ティム・バーキンから運転のレッスンを受けたことから始まった。バーキンは彼女を「この国や海外で生産されたどんなレーシングカーも扱える最高の女性ドライバーの一人」と評した。

ドロシー・ペイジェットにちなんだ『ベンテイガ・エクステンデッド・ホイールベース(EWB)マリナー』は、チームカー#2そのものに色合わせされたブロワー・グリーンの外装ペイントと、最小限のカラースプリット内装ハイドのカンブリアンとブロワー・グリーンを特徴としている。彼女のベントレー・ブロワーからのさらなるインスピレーションには、ブロワーのラジエーターをモチーフしたニッケル塗装のセルフレベリングホイールアクセントベゼルや、内装のニッケル塗装のベニアキャリアが含まれている。内部には、ブロワーのダッシュボードを反映したエンジンスピンアルミパネルがある。

ル・マンを3度制したウルフ・バルナトの娘、ダイアナ・バルナト・ウォーカーは、父の才能と勇気ある精神を受け継いだ。彼女は熟練した馬術の達人であり、ダブグレーのベントレーを駆る熱心なドライバーでもあった。

彼女は1938年にブルックランズ・フライング・クラブで6時間の指導を受けただけで単独飛行し、1941年には航空輸送補助隊に加わり、工場から前線の飛行隊に航空機を届けた。それは危険な仕事だった。無線周波数は最前線の飛行隊用に確保されていたため、彼女は地上との連絡なしに自分で飛行しなければならなかったのだ。華やかな外見と卓越した飛行技術で有名な彼女は、終戦までに260機のスピットファイアをはじめ、数多くの航空機を飛行隊に送り届けた。

『ダイアナ・バルナート・ベンテイガS』は、彼女の愛機であるスピットファイアにインスパイアされ、スモークグリーンのエクステリアと、スピットファイアMk9のコックピットをイメージしたグリーンとサドルのインテリアハイドを採用している。さらに、スピットファイアのエンブレムをあしらった特注のDピラーバッジと、翼の前縁の色を再現したシグナルイエローのアクセントが特徴だ。

《森脇稔》

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