ケン・ブロックがスノーモービル事故で急逝、世界中にエクストリームスポーツの魅力を広めたパイオニア

ケン・ブロックがスノーモービル事故で急逝、世界中にエクストリームスポーツの魅力を広めたパイオニア
  • ケン・ブロックがスノーモービル事故で急逝、世界中にエクストリームスポーツの魅力を広めたパイオニア
  • ケン・ブロックの『ジムカーナ10』
  • アウディ S1 e-tron クワトロ・フーニトロン
  • 「ジムカーナ」の第9作では、踏切に突入する列車スレスレを通過するスタントも成功
  • バイラルビデオシリーズ「ジムカーナ」の第9作
  • ケン・ブロックの『ジムカーナ10』に起用された「フーニトラック」
  • 左から川畑真人選手、哀川翔さん、清水隆史社長、ケン・ブロック選手、マッド・マイク選手、アラン・アンプディア選手。
  • 砂漠を疾走するケン・ブロック選手

WRCにも参戦経験を持ち、プロのラリードライバー、スタントドライバーでもあるケン・ブロック氏が、スノーモービルの事故で逝去。日本時間1月3日の11時に、フーニガン・レーシング・ディビジョンのinstagramにて、同氏の訃報が発表された。

「ケン・ブロック氏が本日スノーモービルの事故で亡くなってしまったことを、私達は心から残念に思っています」

「ケンには先見の明がありパイオニアであり、同時にアイコニックな存在であった。最も重要なことは、父親であり夫であったということだ」

多方面に活躍するケン・ブロック氏はアウディのアンバサダーも務めていた多方面に活躍するケン・ブロック氏はアウディのアンバサダーも務めていた

「彼がいない日常は、驚くほどに寂しく感じられるはずだ。ファミリーが悲しみにくれている間は、どうかプライバシーを尊重してください」

◆世界中から哀悼のメッセージ、オートサロンで再会予定のマッド・マイク選手からも

SNS上ではスーパースターの突然の訃報に、哀悼のメッセージが世界中のファンや関係者から寄せられている。また、トーヨータイヤのアンバサダーを務めるケン氏は東京オートサロン2023にも来日予定であった。同じく東京オートサロンに来日予定で、同アンバサダーを務めるマッド・マイク選手が哀悼のメッセージを投稿。

「とても辛いよ、ケン。あなたは多くの人々そして私とリンク*に、多大なインスピレーションを与えた遺産を残してくれた」* マイク氏の息子

「リンクはヒーローを、私は大親友を失ってしまったよ。同じパッションを共有して独創的なマシン造りができたこと、そして数え切れないほどの素晴らしい思い出で世界中の人々を楽しませたこと、あなたはいつも“キング”に相応しかった」

「あなたと私の子ども達と一緒に数多くの国で過ごした記憶は、とても楽しい時間だった。来週日本で会おうねとメッセージをちょうど送りあったところだったからまだ信じられないけど、愛しているよ兄さん。私達家族とチームの全員から、あなたの家族にできる限り愛を送ります。安らかにお眠りください」

◆総再生回数5億回以上、世界中に強烈な印象を与えた“ジムカーナ”シリーズ

そんなケン氏がエクストリームスポーツのパイオニアということは、彼の代表作でもある「ジムカーナ」シリーズの動画を見れば難しい説明は不要だろう。総再生回数5億回以上という数字からも、その注目度の高さが確認できる。世界中の有名都市で行われるドリフトスタントは、車好きだけでなく多くの人々に車の魅力を伝えてくれたに違いない。

これらの動画は安全を確保したクローズド環境においてのパフォーマンスだが、車の限界ギリギリあるいは限界を超えたともいえるスタントの数々、動画を見た多くのユーザーをいつも楽しませ、そして常に新しい仕掛けで我々を驚かせてくれた。

そして、なによりも車好きの熱い支持を集めていたのは、エポックメイキングな車両の数々だろう。歴代のジムカーナ作品の中でも、特に1965年式のフォード『マスタング』を改造して1,400馬力のエンジンを搭載した「Hoonicorn_V2」、そして1975年式のフォード『F-150』をベースに914馬力のV型6気筒エンジンを搭載した「Hoonitruck」は衝撃的な2台であった。

ケン氏が代表を務めるフーニガンでは、トラビス・パストラーナ氏によるジムカーナプロジェクトに携わる他、数々のカスタムカーを制作。直近ではSEMAショー2022にホンダのインディーカーのエンジンを積んだピックアップトラックを制作し、話題を集めたことも記憶に新しい。

「ジムカーナ」の第9作では、踏切に突入する列車スレスレを通過するスタントも成功「ジムカーナ」の第9作では、踏切に突入する列車スレスレを通過するスタントも成功

さらにケン氏はプロラリードライバーとしても活躍しており、2005年のラリー・アメリカ・シリーズへの参戦からそのキャリアをスタート。2007年に世界ラリー選手権(WRC )デビューを果たし、2010年にフォードと契約。その後はレッドブル・グローバル・ラリークロス(GRC)に参戦し、2015年にはランキング2位を獲得した。翌年には世界ラリークロス選手権(WRX)に活躍の場を移して、現在もアメリカでラリー参戦を継続していた。

◆エクストリームスポーツの魅力を世界に広めたケン・ブロック氏、その功績は永遠に語り継がれる

Monster Energy presents KEN BLOCK's NAGOYA EXPERIENCE with D1GPMonster Energy presents KEN BLOCK's NAGOYA EXPERIENCE with D1GP

ケン氏のドライブは運転技術だけでなく、なにより“魅せる”走りが他のドライバーとは違っていた。速さだけでなくアグレッシブで熱い走りが多くのファンを魅了したのだ。競技参戦と並行しながらジムカーナの動画制作によって、瞬く間に世界中へと「ケン・ブロック」の名前が広がったことは、エクストリームスポーツの地位向上にも貢献した。

Hoonipigasus / フーニピガサスHoonipigasus / フーニピガサス

そして昨年は北米で開催されるパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムに、ポルシェ917/20(通称:ピンクピッグ)をオマージュしてポルシェ『911』を1,400馬力のレーシングマシンに仕上げた「Hoonipigasus 」で参戦。昨年はマシントラブルでリタイアとなってしまい、2023年のパイクスピークにはリベンジ参戦するはずであった。ケン氏による走りがもう見られないことはあまりに悲しい。

ケン・ブロック選手の走りは、多くのファンに刻み込まれているだろうケン・ブロック選手の走りは、多くのファンに刻み込まれているだろう

危険をかえりみずに限界ギリギリのドライビングで、我々の想像を超える走りと輝かしいテクニックを見せてくれたケン・ブロック。ラリークロスの黎明期を支え、エクストリームスポーツそしてカスタムカーの魅力を広めてくれたのは間違いなくあなたの輝かしい財産です。心から哀悼の意を表します。

《後藤竜甫》

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