6月17日から走り始めた東武200系208F“台湾鉄路自強号プユマカラー”。6月21日には、佐野線の「りょうもう」定期運用に入る。その終点・葛生駅は、スバルのテストコースや石灰・セメント工場の最寄り駅で、かつての貨物線や、にぎわいの跡がある(写真40枚)。
明治の時代、安蘇馬車鉄道の停車場として開業した葛生駅は、佐野鉄道、東武鉄道と母体を変え現在に至る。東武伊勢崎線の館林駅から分岐する佐野線は、単線電化22kmの線路で、その上を2・3両編成の通勤形電車(8000系など)が行き来している。
このローカル線に、200系による特急「りょうもう」が1日1往復、運行されている。朝8時過ぎに葛生駅を発つ浅草行き「りょうもう12号」、夜の21時半に着く「りょうもう41号」で、佐野線エリアの利用客をイメージしたダイヤ設定にもみえる。駅は「工場の作業員や経営者、地元の人たちが、東京方面への出張や買い物、病院通いなどの足として使うようだ」と話していた。
佐野線沿線には、東京石灰工業や住友大阪セメント、日鉄鉱業、吉澤石灰工業など石灰石やセメントを扱う工場が点在。サンゴ礁の隆起によって形成されたといわれる鉱床でも、栃木県内はこの葛生エリアにとくに分布しているという。Googleマップの航空写真でも、葛生駅周辺の採掘された土地がはっきりとわかる。
佐野線に寄り添うように流れる秋山川の右岸には、きれいなオーバル周回路が見える。これがスバル研究実験センター。『アルシオーネSVX』から現在の市販車までをはじめ、世界ラリー選手権(WRC)、ニュルブルクリンク24時間レースに参戦する車両などもこの地でさまざまな試験を経るという。ことし3月末に行われた「スバルファンミーティング」の当日は、葛生や田沼の国道・県道がスバル車で埋めつくされた。
駅前で赤提灯を点す店の主は、「そうねえ、スバルの人は、もともとクルマで通勤する人が多いから、あまり見ない。やっぱりセメント関連の人が多いね。むかし、葛生の先にも線路が延びててね、貨物列車がばんばん走ってた時代があったんだわ」と教えてくれた。
葛生駅の北には、軌道の痕跡がいまもあり、石灰石などを運ぶ列車が行き来した会沢線、大叶線、日鉄鉱業専用線などの線路を想像できる。当時の貨物線のレール脇にある工場には、役目を終えた貨車の姿もある。
貨物列車が行き交った葛生駅ヤードには、機関車や貨車、作業員の姿が消え、いまは太陽光発電のパネルが並んでいる。駅前のスナックの店主は、「いまはセメント工場とゴルフ場、あと、スバル。それぐらいの土地だけど、ゴルフ客がもっと電車を使ってくれればね、もう少し客も来ると思うけど」と話していた。
プユマ色の200系208Fは、6月21日に塗色変更後初めて佐野線の定期特急「りょうもう」に就き、夜に葛生へ向かい、翌朝(22日)、浅草へと引き返す。