熊本県の宇土半島西端にある“現存する明治の港”、三角西港。船の往来が消えたこの穏やかな港に10月初旬、ユネスコ諮問機関のイコモス(国際記念物遺跡会議)担当者が現地調査に入った。これら調査をふまえ、2015年6~7月にこの港が世界遺産に登録されるか否かが決まる。
福井の三国港、宮城の野蒜築港とともに「明治三大築港」のひとつである三角西港は、1887(明治20)年に築かれた港で、「日本最古の近代的港湾」といわれる。この港が、世界遺産国内暫定一覧表に記載された「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」のひとつに含まれ、長崎の“軍艦島”で知られる端島などとともに来年の世界遺産登録の成否を待っている。
「明治期の港湾施設が完全な姿で現存しているのは日本でこの三角西港だけ。現地調査員に、遺構の現状や今後の維持・運営について、中長期的ビジョンを伝えたところ。あとは結果を待つのみ」と熊本県の関係者は話す。
三角西港は、熊本の“海の玄関”としてにぎわい、貿易・行政・司法などの施設を備えた近代的都市の発展に貢献。国の特別輸出港にもなり、米や麦、麦粉、石炭、硫黄などがこの港から各地へと渡り、重要輸出港として繁栄した。
明治期に築かれた石積みの埠頭で釣り糸を垂らす50代の男性は、「ここが世界遺産に? 認められたらにぎやかになるだろうけど、観光客は天草に流れちゃうんじゃないかな」ともらす。JR三角駅では、観光列車から降りて天草方面へ向かう団体客の姿があった。
1899年(明治32)年に九州鉄道の線路が敷かれ、のちに天草や島原へと向かう船の港が現在の三角駅付近に設けられたころ、三角西港は船着場としての役目を終えた。
現在、この穏やかな旧港には、緻密な石積みによる埠頭や東西排水路、石橋などがそのまま残っている(国の重要文化財)。また、国の登録有形文化財に指定されている旧三角海運倉庫はレストランに改装され、そのテラス席で島原湾を眺めながらスイーツを楽しむ男女の姿もあった。
熊本市内と三角西港を結ぶ国道57号の道路幅員も築港当時のまま。市内からレンタカーでこの道を走ると、“明治の残り香”をところどころに感じる。
港を散歩していた地元の人は「調査員が来たというニュースがテレビで流れたあと、ちょっと人が増えた感じもある。『世界遺産に登録される前に候補地を歩く』っていう趣味を持つ人が週末にやって来るって話も聞いた」と話していた。
明治を代表する土木港湾施設は、世界遺産に登録されるか。「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の登録成否は2015年6~7月に発表される。