豊田章男社長は12月25日の発表会で、新型車で14代を数えた『クラウン』について「日本では歴史を語ることのできる数少ないクルマ」とし、1955年に『トヨペットクラウン』として発売された初代にまつわるエピソードを披露した。
初代の開発主査は、トヨタの伝説的なエンジニアといっても過言でない中村健也氏。乗用車でも板バネが普通だった当時、前輪には「ダブルウィッシュボーン」という、現在の高級車ではスタンダードとなったサスペンション技術を採用した。
まだ、道路事情が悪かったため、主力ユーザーのタクシー業界からは耐久性を懸念する声が高まった。これに対し、中村氏は「乗り心地の良さは、タクシーのサービス向上を通じて、やがて顧客の獲得につながる」と、説得したという。また現地では通用しなかったもの、初代クラウンはトヨタ車として北米に初めて輸出されたモデルでもある。
豊田社長は「いいと思うことは、反対されてもやる。また新しい技術で常に世界に挑戦していく。そうした中村さんの精神は、歴代クラウンの開発者に継承されている」と振り返り、クラウンの歴史の重みを訴えた。