「震災の日から3日間は停電していました。夜になれば家の中でダウンジャケットを着込んで、ロウソクの明かりのもと妹と乾電池式のラジオを聞く毎日でした。『~の建物の屋上で孤立しています。助けてください』『荒浜の海岸に300以上の死体が…』地元のラジオ局が流す津波被害にあった人たちからの悲痛な便りを震えながら聞いていました。余震が来るとロウソクを消し暗闇に。唯一の情報源なのでどんなに気持ちが暗くなろうとラジオを消すわけにはいきませんでした」(仙台市太白区の北島さん)
不動産会社に務めている北島さんは、昼間は建物の点検や入居者からの問い合わせで車で外出することが多かった。
「震災直後から3~4日経つまで、市内の車は大変多く渋滞ばかりでした。私の場合は仕事でしたが、停電や電話が繋がりにくい状態でみなさん家族や知人の安否の確認のために車で移動する必要があったのだと思います」
その後、市内の交通量が一気に減ってきたという。
「私の場合、停電は4日目には解消しました。夜の部屋が明るくなっただけで気持ちもずいぶん違う。そのころから急に市内の交通量が減り始めました。一方、ガソリンスタンドに列ができるようになったのです」
深刻なガソリン不足。これは震災による製油所の停止、輸送経路の麻痺に加え、停電のために車内で過ごす人が増えたことも遠因となったであろう。東北地方だけでなく首都圏でもガソリンを求める自家用車が延々とガソリンスタンド周辺に列をつくる風景が見られた。
元売り各社は、ガソリンや灯油を運ぶローリー車を首都圏、関西からも集めて東北に燃料を運ぶが、それも焼け石に水。21日の週、28日の週も、4月に入ってからも深刻なガソリン不足が被災地を覆った。
鉄道と比べ、東北自動車道の復旧は早かった。震災翌日の12日早朝には仮復旧を終えて自衛隊車両などの緊急車両の通行を可能にしている。その後も応急復旧が続けられ24日から一般車の通行が可能になった。
それを受け、都内から震災報道を続けていた編集部では取材班を仙台に送ることを検討した。しかし深刻なガソリン不足。取材班が帰ってくるには仙台での給油が必要となってしまう。東京ナンバーの車が被災地からガソリンを奪うわけにはいかない。
東京都から仙台市まで東北自動車道経由で約360km。石巻市で約420km。往復にしてそれぞれ約730km、約850kmというのが被災地と編集部との距離。このような距離を無給油で走ることができる車が1車種だけある。実用燃費で21km/リットル以上、45リットルのガソリンタンクを持つハイブリッドカー、『プリウス』である。プリウスを借りることができた取材班は少なくとも仙台、可能ならば石巻まで達しようと3月29日に東京を出発した。
過去に「無駄な航続距離よりもタンクを小さくすることで軽量化による燃費向上やスペース効率に対するメリットのほうが大きい」といった考え方を支持したこともあるが撤回しなければならない。この非常時では燃費の良さのみならず1000kmにもおよぶ航続距離が活躍してくれる。
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被災した東北のために少しでも手を貸したい。自分たちでできることを誠意をもって取り組もう。地震発生から1か月が過ぎた。今後【特集 クルマと震災】では、速報のみならず検証というかたちでクルマと震災を振り返り、地震国日本の経験値とするべく記録してゆく。