【トヨタ GAZOOレーシング】脇阪寿一、最も印象に残るのは03年SUGO優勝後に届いた「本山哲からのメール」

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03年の全日本GT選手権(現SUPER GT)第3戦SUGOにおいてGT500クラスで優勝した脇阪寿一(左は当時のチームメイト飯田章)。
  • 03年の全日本GT選手権(現SUPER GT)第3戦SUGOにおいてGT500クラスで優勝した脇阪寿一(左は当時のチームメイト飯田章)。
  • 03年JGTCのSUGO戦を制した脇阪/飯田組のスープラ。
  • 03年JGTC・SUGO戦、GT500クラスの表彰式。脇阪(中央右)が優勝、本山(最右)は3位だった。
  • 引退を発表し、トヨタの伊勢専務から花束を贈られた脇阪。
  • アンドレ・ロッテラーと組んだトムス時代には06、09年と2度ドライバーズ王座に輝く活躍を見せた脇阪(写真は09年)。
  • 14~15年の脇阪はRPバンドウで走り、ドライバーとして貴重な経験も得た。
  • ファンイベントの主役でもあった脇阪(写真は15年)。
  • ファンのために、これこそ脇阪寿一の行動の原点である(写真は15年)。
4日にSUPER GTシリーズGT500クラスからの引退を発表した脇阪寿一。恩師やライバルたちにも感謝する彼は、現役時代に最も印象に残るレースとして2003年のSUGO戦を挙げ、ライバル本山哲からのレース後のメールがなにより「嬉しかった」と話した。

脇阪は第一線からの引退を発表したカンファレンス終了後の囲み取材のなかで、多くの僚友ドライバーやレース界内外の恩人たちへの感謝も語っている。なかでも1979年全日本F2チャンピオンであり、脇阪のレース人生における師ともいえる存在であった松本恵二さん(昨年逝去)の名を強調した。

「恵二さんが僕というレーサーをつくってくれました。勝負に対する組み立て、ライバルに対する立ち位置、人に対する感謝。僕はすべてにおいて恵二さんに褒められること、怒られることを行動のバロメーターにしてきたつもりです」

ファン目線では強気で陽気な脇阪だが、レースに挑む心理状態は繊細なものであり続けた。「僕は怖がり。チャンピオンがかかったレースの時なんて、土曜(予選日)の夜に『やめたい』『このまま帰りたい』なんて思いになったこともあります」。ファンには意外な側面かもしれない。また一方で、なにより「人との“御縁”という言葉を大切にしたい」と語る義理堅い男でもある。この日もそんな一面を感じさせるエピソードが出た。

「去年のオートポリス戦に、かつて僕がシートを奪うかたちになった山本(勝巳さん)が来てくれたんです。それも(引退できる理由の)ひとつで、これは僕が思っているだけですが、(神様に)許された感覚というか、僕が最後の年というところで神様が呼んできてくれたのかな、まわりまわっての御縁かな、と思うところがありました」

98年途中に脇阪がGT500デビューを飾った際、当時のホンダ陣営で山本さんのシートを奪うかたちになったのは事実。しかし、それは勝負の世界での出来事、脇阪が気にやむ必要があることではないし、山本さんにも含むところなどないはずだ。しかし、長いこと全日本GT選手権~SUPER GTの現場で山本さんの姿を見ていなかったという脇阪にとっては、自身の現役最終年(になりそうな年)に山本さんの来訪があったことは、何かを感じる出来事だったのであろう。これまた意外に、といっては失礼かもしれないが、実は古風な一面も持つ彼らしいエピソードだ。

98~15年と足かけ18シーズンをGT500で戦った脇阪。最も印象に残るレースは? という月並みな問いにも、彼らしく素晴らしいエピソードを添えて答えてくれた。

「派手さで、やっぱり03年のSUGOですね」。スポーツランドSUGOで開催された03年の第3戦は、ゴール直前で当時スープラを駆る脇阪がトップのマシン(こちらもスープラ)をパスして先頭ゴール、チェッカー直後にはマシンのリヤの破損した部分が飛散するという劇的な勝利だった。しかし、脇阪がこの一戦を挙げた理由はレース後、帰路に届いたメールにある。

メールの送り主は本山哲だった。

トヨタのエースだった脇阪にとって、日産のエース本山は様々な意味で特別な存在。「若い頃には僕が東京に来た時にはいつも彼の家に行っていたくらい」仲も良かった。そして本山といえば当時のフォーミュラ・ニッポンで最多4度のタイトル獲得を誇る絶対王者であり、GT500ではほぼ互角の成績をあげていた脇阪にとっても、自身がチャンピオンになれなかったフォーミュラ・ニッポンでは「リスペクトした上での話ですけど、目の上のタンコブ(苦笑)。あの人がいなければ」という存在だった。

その本山が、脇阪の劇的勝利に対し、「カッコよかった。嫉妬した」というメールで祝福してきたのだ(本山はこのレース3位)。脇阪にとって「同じ時代に生きられたことを感謝している」というほどの大きな存在である本山からの「いろんな意味にとれるメール」だった。だから「嬉しかった」。

ファンにも、そしてライバルにも数多くの記憶を残し、脇阪は現役第一線を退く。ドライバー完全引退ではなく、今後も「スーパー耐久や86/BRZレースには出場します。でも、ただ出るだけではなくて、それぞれの活動に『僕が乗ることで何をしましょうか』という意味づけをしていきたい」。その考えはあくまで高いところにある。

「ずっと“脇阪寿一”をやってきましたから、GT500の現役やめてシュンとするようでは、これまで手を振ってきた子供たちに対してダメですよね。これからも(ある程度は)デンとさせていただいて、『現役を終えてもあんなにいろんなことやってるよ』といわれるようにしていきたいと思います」

後輩ドライバーたちが自然とキャラづけされるようなかたちで、もっともっとファンにヒューマンドラマを見せられるSUPER GTにしていきたいとも語る脇阪。今季から古巣であるチームルマンの監督に就任するが、将来的には自分自身のチームを持ちたいとも語る。「チームを持つことが目標ではなく、自分がやりたいことをやるためにチームを持ちたい」。

脇阪寿一がやりたいこと、それは参加する者も観る者も今以上にいろいろな意味で楽しめるモータースポーツ界をつくっていくこと、それに他ならないはずだ。
《遠藤俊幸》

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