千葉県船橋市浜町の船橋オートレース場がその役目を終えようとしている。県や市は3月末でオートレース事業から撤退する予定だが、この地には、海水浴場、スパ施設、サーキット、飛行場、スキー場などが存在した時代がある。いま、京葉線の車窓から、いくつ想像できるか。
1950(昭和25)年に開設された船橋オートレース場は、ことしで66歳を迎える「オートレース発祥の地」。主催は県と市で、土地は三井不動産商業マネジメント、施設はよみうりランドが所有している。
現在、オートレース場と京葉線の線路の間には、2016年9月竣工を目指して建設がすすむ三井不動産ロジスティクスパーク船橋1が姿を現し始めた。この新たな物流拠点が建つエリアは、60年前は「船橋ヘルスセンター」というレジャー施設の海水浴場やプールがあった。
総合レジャー施設としてにぎわったこのころ、同センターの付帯施設として「船橋サーキット」や「船橋飛行場」なども存在した。元F1ドライバーのピエロ・タルッフィが設計したこのサーキットは、鈴鹿サーキットに次ぐわが国2番目のサーキットとして、1965(昭和40)年に登場。わずか2年という短命に終わったが、ここを長谷見昌弘や高橋国光、生沢徹、浮谷東次郎らが駆るマシンが駆け抜けたという。
700mの滑走路を持つ飛行場は、同センターによる遊覧飛行機が離着陸する場として、場所を移しながらおよそ10年間存在。この跡地に90年代、人工スキー場「ららぽーとスキードームSSAWS(ザウス)」が登場。「東京から電車で、手ぶらで行けるスキー場」といううたい文句で注目を集めた。この“湾岸スキー場”でにぎわった場所が現在の「IKEA船橋」で、ザウス時代と同じく、週末ともなると混雑を見せる。
いま、これらの遺構はほとんど見られないが、京葉線の車内からは、海水浴場やサーキット、滑走路、ザウスなど、それぞれの在りし日を想像できる。「船橋サーキットの“ソックスカーブ”は、京葉線の高架下をぐるっとターンしていたはず」というように。