世界を舞台に闘ったマツダ ファミリアロータリークーペ、45年の時をこえ再びスパに

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ベルギーのヒストリックカーレースに出走したマツダ ファミリアロータリークーペ
  • ベルギーのヒストリックカーレースに出走したマツダ ファミリアロータリークーペ
  • マツダの前田育男デザイン本部長(左)と加藤仁さん(右)
  • スパ・コルシャンで開催されたヒストリックカーレース「SPA SIX HOURS」
  • スパ・コルシャンで開催されたヒストリックカーレース「SPA SIX HOURS」
  • マツダ ファミリアロータリークーペでベルギーのヒストリックカーレースに参戦した、加藤仁さん
  • マツダの前田育男デザイン本部長
  • スパ・コルシャンで開催されたヒストリックカーレース「SPA SIX HOURS」
  • ベルギーのヒストリックカーレースに出走したマツダ ファミリアロータリークーペ

今年9月、ベルギーのスパ・コルシャンで開催されたヒストリックカーレース「SPA SIX HOURS」に、マツダ『ファミリアロータリークーペ』(R100)が参戦した。

ドライバーは愛知県在住の医師、加藤仁さん。「R100でスパを走る」という夢を長年温め続けてきた人物だ。

そのきっかけとなったのは、1970年のスパ・フランコルシャン24時間レースの映像だ。レースでは、21時間目まで片山義美/武智俊憲組がトップを疾走。だが、そのままゴールとはならなかった。

当初はエンジン回転数を8000rpmに設定していたが、車検でフェンダーが規定の大きさをオーバーしていると指摘され改修、それに合わせてタイヤサイズもダウンした。そこで回転数を8500rpmにチューンアップするも、負担は大きくエンジントラブルでストップしてしまったのだ。

最終的には、4台中3台がリタイア。しかし、英国人ドライバーが駆るマシンは5位入賞し、独特のエキゾーストノートを響かせながら走る姿は、欧州のレース界で強い印象を残した。

◆「ロータリーエンジンをアピールした車」に感銘

その映像を見た当時は学生で、自動車部のキャプテンを務めていたという加藤さん。自らもR100でジムカーナをやっていたという。「学園祭の時に関東マツダからフィルムを借りて見たんです。日本の車が海外のレースに出て、先頭を走った。これはすごい! と、とても感動しました」。

モータースポーツを長く続けるのは容易ではない。仕事、結婚、子ども…ライフスタイルの変化は避けられず、諦めざるを得ない場合も多いだろう。しかし、加藤さんの思いは燃え尽きなかった。「自分も一度はやめましたが、また余裕が出てきて再開しました。84年にマシンを買って、パーツからなにから自分で組んで…。やはり1970年のスパの映像の素晴らしさがずっと頭にあったんですね。『サバンナ RX-3』にグレードアップすればもっと速く走れるでしょうけど、R100にこだわってやってきました」。

国内のヒストリックカーレースに参戦しながら、車とドライビングテクニックを磨き、スパの地を目指してきた。「『コスモスポーツ』も68年のマラソン・デ・ラ・ルート(84時間耐久レース)くらいからレースに出ていましたが、あれは特殊なエンジンですしプロトタイプみたいなものではないかと考えています。僕にとってはファミリアこそが、世界でロータリーエンジンをアピールした車。日本でも『スカイライン GT』とロータリーが闘いを始めて、それがモータースポーツの幕開けになったと思います」(加藤さん)。

「SPA SIX HOURS」に出場するにはFIAヒストリック・テクニカルパスポート(HTP)の取得が必要だ。車両も、当時の仕様に合わせるよう細かい規定がある。加藤さんに苦労した点を聞くと、「この車はパーツが手に入りづらいのが難点。日本国内にはほとんどないので、ヨーロッパやオーストラリア、ニュージランドなど海外で手に入れることが多い。フェンダーも鉄でできているので、こだわって探しました」とのこと。カラーリングやステッカーも当時の写真をスキャンして再現。地元愛知県のガレージ「RE SUGIYAMA」の協力も得て、ついに今回出場の夢を叶えた。

当日は、高低差約100m、全長7004mの山間地を駆け抜ける難関コースを無事に完走した。「この車は基本的にブレーキがきかないんです。だから手前で減速を始めてあんまりブレーキかけないようにしています。また、重心が高いからロールするんですね。後輪のサスペンションを固くすればするほどひっくり返ってしまうので、後ろを柔らかくしています。それから、トルクもないので、6000~8000rpmくらいでいつもギアチェンジしているんです」。

「運転技術が学べない車で、とても運転しにくい。だから今日走ってみて、片山さんたちは当時ここで24時間も走ったのか、という驚きがありました。コースの難所であるオー・ルージュは行けるけれど、その後の下りが結構怖かったですね。路面もウェットだったし、スリックタイヤだと滑ってしまうので、もう少しきっちりしたタイヤに替えた方が良さそうだと思いました。でも、僕の子供みたいなもので、ずっとこれでやってきていますから」と笑顔で車への愛着と特徴を語る加藤さん。今後も国内外の様々なレースに出たいという。

◆モータースポーツを続ける意義

今回、2台出走したマシンのもう一人のドライバーを務めたのは、マツダデザイン本部長の前田育男氏だ。加藤さんとは以前から友人で、「スパでの夢を叶えるサポートができればと思って来たが、自分にとっても素晴らしい体験になった」と語る。

前田氏にとってファミリアロータリークーペは、初めてサーキットでレースを見た際に走っていた車だった。「家族旅行の時に鈴鹿サーキットの近くを通ったら、たまたまその時グラチャンをやっていたんですね。ロータリークーペがスカイライン GT-Rを1コーナーのインで刺して、そのシーンは今でも覚えています」。

当日は、観客からの注目も集めていた同車。「1970年レースを思い出す、スパを走ったときのこの車の音を覚えているという人も多く、『ああ、あの時のか!』と言って語り合っている姿を見て、ファンの深さを感じました。だからモータースポーツは、メーカーとしてもずっと頑張って続けることに意義があると思う」と前田氏。ノーマルのR100に乗って駆けつけた男性ファンも、このイベントのために初めて長距離をドライブしてきたと語っていた。

ドライブした感想を聞くと「この車はロータリーで特徴あるエンジンだし、ブレーキも行き過ぎると止まらないし手前だと余ってしまって、タイミングが難しい。すごく神経を使うし、持ってる引き出しを全部つかって走らないといけない車です。楽ではないですね、ND(ロードスター)とは違う(笑)。でも車重が軽いのでストレートで置いていかれてもコーナーで攻められる。本当に楽しくて、ついついレースに没頭してしまった」との答え。

こういったレース体験は車をデザインする際にも影響を与えるのだろうか。「ギリギリの状態で車と一体になるという経験は、そうならないといけない、そうあるべき、という思いに繋がります。人とエクステリアやインテリア空間も全然マッチしないものではだめだし、デザインでも『車って面白いものなんだ』と表現してあげないといけない。その点、この車は走ってる姿も格好良い。僕がどれだけ楽しいと言っても、車が格好悪いと様にならないですし、説得力もないですよね」。

今回の体験を経て、またファミリアロータリークーペで海外のレースに出たいと話す前田氏。来年アメリカのラグナセカで開催されるヒストリックカーレースへの参加を、加藤さんと共に検討中だという。

《吉田 瑶子》

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