【緊急寄稿】ニュル・マイスター成瀬弘先生、あなたのファンでした…ピーター・ライオン

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トヨタ伝説のテストドライバーと言われた成瀬弘氏(写真=トヨタ提供)
  • トヨタ伝説のテストドライバーと言われた成瀬弘氏(写真=トヨタ提供)
  • 成瀬氏とGRMNのMRSハイブリッドコンセプト(写真=ピーター・ライオン)
  • ニュルブルクリンクでMRSハイブリッド・コンセプトをドライブする成瀬氏(写真=トヨタ提供)

ドイツにいる同僚から緊急の電話が飛び込んできたのは、6月23日午後8時ごろだった。「非常に残念なお知らせがあるんだ。実は、ドイツのメディアが、ニュルブルクリンク近辺の公道で67歳のトヨタのテストドライバーが事故で死亡したと伝えている。『LFA』に乗っていたと言っている」という。

67歳のテストドライバーというと、1人しかいない、と思った。それはニュルブルクリンク・マイスターこと成瀬弘氏を示していることになる。真夜中にやっと確認がとれた時、日本の自動車界が1人のヒーローを失ったことにあらためて落胆した。私も仕事や24時間レース参戦でかなりお世話になっているだけに、非常に衝撃的なニュースだった。

独日刊紙ウェルト (Die Welt) によると、現地時間の午前10時ごろ、同氏はレクサスLFAの特別仕様車「ニュルブルクリンク・パッケージ」に乗り、その近辺の一般道でテストしている時に、BMWのテスタカーと正面衝突事故に遭ったそうだ。(事故現場の模様はビデオでもチェックできる。)

現地のライン・ザイトゥン新聞によると、BMWに乗っていた2人のテストドライバーは重傷を負っているそうだ。みなヘルメットを被り、シートベルトをかけていたと現地で伝えられている。両車のエアバッグも作動したように見えるし、フロントは破損されたもの、キャビンはつぶれていないということを現地の同僚が言っている。また、LFAはプロトタイプだったということで、最先端の計測機器もキャビンに搭載されていたようだ。ベルトをかけて、ヘルメットを被っていて、エアバッグも作動したというのに、何で助からなかったかという疑問は残る。事故現場の揺るやかなカーブの道は、警察の現場検証で2時間閉鎖されたらしい。

しかし、事故原因をはっきりさせるために、さらなる現場検証が行われるという。一見、見通しの良い緩やかなコーナーだが、現地のラジオ放送局は、「警察はLFAが反対車線にはみだしていた模様だと言っている」と、ドイツの同僚は言った。事故現場を見た彼は、「両車が衝突して停まった場所から言えば、LFAは道路の真ん中、もしくは反対車線を走っていたんじゃないかな」と言っていた。

いっぽう、トヨタ自動車は24日に下記の発表をしている。

「突然の悲報に驚いています。現地時間6月23日午前10時頃、独ニュルブルクリンク近くの公道で、LFAの車両評価中に、当社のテストドライバーである成瀬弘氏が交通事故で亡くなりました。『同社のチーフテストドライバー、成瀬弘氏(67)がドイツ西部の一般道をテスト走行中に、事故で死亡した。成瀬氏の遺族に哀悼の意を、負傷した人らに同情の意を示す』」と発表した。

成瀬氏は1963年にトヨタに入社し、70年からは欧州に渡り、スポーツカーの開発を始めるとともに、モータースポーツにも早くも才能を見せた。その後、車両実験部の有力な人材として『2000GT』、『セリカ』、『カローラ(AE86)』、『MR2』や『スープラ』など数々の名車の開発に携わり、90年代からはチーフテストドライバーの肩書きで呼ばれるようになる。最近ではスーパーカー、LFAの開発リーダーを務めると同時に、GRMNの開発担当として「MRSハイブリッド・コンセプト」などを手がけた。(GRMN=Gazoo Racing Meister of Nurburgring)

ところで、成瀬氏は海外メディアでもかなり知られており、尊敬されていた。70年からニュルを走っているということで、「このニュル・マイスターよりニュルを走った人はいないだろう」と、有力なオートブログのデーモン・ラブリンク氏が言う。「一度マイアミ・サーキットでLFAで成瀬氏の同乗走行をした。それは僕の人生の誇りだ」と評価している。

私が知っている成瀬氏は、情熱的でトヨタのクルマに深い誇りを持ち、私にとって憧れの名ドライバーだった。6年ほど前に、MRSプロトタイプの試乗会で、成瀬氏が同車の豪快な性能について熱心に説明してくださったことを今でもよく覚えている。ご自分でお作りになったクルマを皆にいつもどこでもできる限り楽しみ、できる限り理解してもらおうとしていた。それに毎回、ニュルに取材に行くたびに、次世代のテストドライバーを熱心に指導する成瀬氏の姿を見ると、トヨタの次期スポーツカーに希望が感じられた。そういう成瀬氏には、特に憧れたものだ。

また先月、私がニュル24時間レースで乗ったレクサス『IS-F』に関心を持っていただいた成瀬氏は、わざわざピットまでいらして、セッティングを確認なさった。豊田章男社長にとっても、同氏は「信頼できるお父さん的な存在」だっただけに、この事件はトヨタにどう影響するか。成瀬氏のような方は二度と現れないだろう。非常に残念だが、この事件で1つの時代が終わった。トヨタ、いや、日本の自動車界の大物を失った、その波紋が広がるだろう・・・

ご冥福をお祈りします。Rest in peace…

先生のファン、ピーター・ライオンより

ピーター・ライオン|モーター・ジャーナリスト
60年オーストラリア生まれ。西オーストラリア州大学政治学部卒。81年に同州の日本語弁論大会に優勝。83年に慶応大に留学。88年から、東京を拠点にするモータージャーナリスト。現在、米・英・独・伊・豪などの有力誌に新車情報や試乗記を寄稿。また、日本の自動車雑誌にも日本語で執筆中。日本COTY 選考委員。ワールド・カー・オブ・ザ・イヤー共同会長。愛車はジャガー『XJ8』。

《ピーター・ライオン Peter Lyon》

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