「学生最後のマラソンは深く考えず勢いのようなもので、今回のほうが価値がある」
東京マラソン初の日本人優勝という記録を刻んだ藤原正和選手。重なるのは03年の「びわ湖毎日マラソン」であろう。中央大学在学中に初めてマラソンに出場。初マラソン日本人最高記録と学生最高記録を更新した。
その重圧と焦りからか。「社会人5年目くらいまでは、若い頃と同じようにガンガン練習して、故障しがちで、試合で結果がでないというジレンマだった」と振り返る。伸び悩む自分自身とひたむきに戦い続ける藤原選手がその葛藤の中で得たものは、冷静に自分自身を捕捉する力だった。
「自分を練習の中でコントロールできて、いけるところといけないところを決めてできるようになった。セリフコントロールができるようになったことが成長した部分だと思う」という言葉どおり、自分の描くシナリオ通りにレース展開を運ぶことができた。
「集団後方で力を貯めて、最後で勝負だ」と指示する監督に、38km時点で手を挙げて応えた。自分の中でも「40kmを過ぎた頃から勝負をかけようと、走る前から決めていた」
28位(10km)、17位(20km)、8位(30km)と徐々に順位を上げ、35km地点でトップに躍り出たが勢いに成り行き任せとはしなかった。再び後ろに下がって、もう一度先頭集団の様子を観察して、自分自身で答えを出した。「自分の勘ですけど、これならいけるなと」。
その結果は日本陸上連盟の澤木啓祐専務理事から「新しいヒーロー」と賞されるものになった。
「これがスタートだと思っているので、どんどんレースに出て結果を出していきたい。一本のマラソンにかける意気込みは今のほうが強い」。藤原選手からは、これからの活躍を期待させる予感があふれていた。