インターナビ推進室 室長
<詳しいプロフィール>
―まずはHondaのカーナビの進化について教えてください。

今井―  1981年に世界で初めてカーナビを搭載し、1990年にはデジタルマップナビゲーションをリリース。そして2002年にアコードでインターナビ・プレミアムクラブを開始しました。

神尾―  1998年にブラウザを搭載していると思うのですが、その点に関心があります。NTTドコモのiモードが出る前でしたから。

今井―  1993年にインターナビの企画を出したのですが、そのとき調べたところ、エンドユーザーの視点に立つと渋滞情報や地図の更新が大切ということになりました。リアルタイムでの対応の必要性の高さを痛切しましたね。
神尾―  そのニーズは、今でも不変ですよね。

今井―  まったくそうです。その後にVICSが始まりました。

神尾―  1993年時点でのコンセプト全体としては、どういうものだったのでしょうか?

今井―  現状のインターナビのカタチをこの時点でイメージしていました。

神尾―  VICSが始まったのも1996年です。いっぽうインターネットは1995年から商用利用が始まっています。ところで、今井さんがIP(インターネット・プロコトル)に注目したのはいつからでしょうか?

今井―  ちょうど、インターネットが世間一般で立ち上がったぐらいですね。それも社内に好きなスタッフがいて、いろいろとダウンロードしていた。そこでドライブ情報収集ならインターネットを利用していこうということになったのです。
モータージャーナリスト
<詳しいプロフィール>
通信ジャーナリスト
<詳しいプロフィール>
―ところで、清水さんのモータージャーナリストの視点で1998年から2002年のあたりのクルマを取り巻く環境は、どういう位置づけだったのでしょうか?

清水―  京都議定書が発効され、業界再編400万台クラブ/軽自動車の安全基準アップなど、今までのパラダイムを初期化した時代といっていいでしょう。

今井―  ミニバンマーケットの伸長も、この時期をきっかけに始まったといえますね。

清水―  そうですね。また、この時代に、走る/曲がる/止まるというクルマの三原則に対して、携帯でつながるという新たな指針が加わったのは確かです。
神尾―  あくまでも携帯は情報ツールコミュニケーションデバイスで、クルマはモビリティ(移動手段)という違いはありますが、「ネット」という概念が意識され始めた時期としては近いですね。このネット的な視点だと1995年のウインドウズ95や1999年にiモードが始まって、人々の情報を求める姿勢が変わりました。つまりそれまでは、本や新聞やテレビなど、さらにはCDやDVDなどの「パッケージ化された情報」が提供されるだけでしたが、ネットではコンテンツという「情報の断片」が流通する形になり、ユーザー自らがコンテンツを必要な部分を必要なだけ引き出せるようになってきました。情報の流通において、提供者と消費者の力関係が変わってきたわけですね。

清水―  先にハナシに出ました1998年時点で、iモードに対してクルマが先手を打っていたのは興味深いです。

神尾― 運転中の車内は周囲から隔絶された空間だけに、より情報に対する欲求の度合いは大きかったのでしょう。じつはケータイも似たところがあって、”モバイル”という環境では潜在的な情報に対する欲求は高くなるのです。

清水―  2001年は、フランクフルトショーの開催日に起こったNYテロが、世間的に不安を煽る年でしたが、その後、10月末に開催された東京モーターショーに海外メーカーのCEOが大挙してやってきました。そこで彼らはあれやこれと乗りたい指示を出したのですが、それがどれもカーナビ搭載車ばかり。この点でやはり日本は、立場的に強いと思いましたね。

世界初のカーナビとなった、Hondaエレクトロ・ジャイロケータ。地図フィルムをブラウン管の前にセットして使う仕組み

地図のデジタル化を実用化させた第2世代カーナビは、2代目レジェンドに搭載。CD-ROM/マップマッチングといった基本機能特許のほとんどをHondaが独占している

2002年にフルモデルチェンジを受けた7代目アコードから、インターナビ・プレミアムクラブのサービスが本格導入された
インターナビTOPへ 鼎談2ページ目へ