POKKA Response.特別企画
温故知新 〜国産スポーツカーの先駆車たち〜
ACT.2 INTERVIEW
200km/hオーバーを樹立した スピードトライアル 津々見友彦×TOYOTA 2000GT
Profile つつみ ともひこ
第1回日本グランプリにDKWで参戦し、64年に日産、66年からはチーム・トヨタに所属する。66年6月の鈴鹿1000kmレースでは福沢幸雄とともにトヨタ『2000GT』を操って優勝を飾った。10月には78時間のスピードトライアルに挑み、3つの世界新記録とEクラスの13の国際記録を打ち立てている。その後、渡米し、帰国後はいすゞワークスやプライベートチームでGPや富士GCレースに出場した。現在は自動車評論家として活躍中。
世界記録はミリ単位のアクセルワーク、持久戦だった
津々見友彦×TOYOTA 2000GTル・マン24時間レース参戦を目標に掲げたトヨタの開発陣が、レースの次に選んだのが日本車として初となる「スピードトライアル」である。トヨタ『2000GT』は耐久信頼性の高さを立証するため、1万マイル(1万6000km)での世界記録更新に挑んだ。ドライバーに選ばれたのはトヨタ・ワークスの細谷四方洋、田村三夫、福沢幸雄、津々見 友彦、鮒子田 寛である。夏からトレーニングを行ない、10月1日に本番を迎えた。晴れの舞台は茨城県谷田部の日本自動車高速試験場だ。

マシンはボンネットをダークグリーンに塗ったイエローのトヨタ2000GTである。午前10時にスタートし、バンク付きのオーバルコースをハイペースで走り続けた。
津々見友彦×TOYOTA 2000GT
当時、記録映画までも製作されたほど過酷だったテスト。名実ともに備わった名車だ
トヨタ2000GTは、最初の目標だった6時間の国際記録を難なく更新する。平均時速は210.42km/hだ。順調に記録を塗り替えていったが、2日目は10m以上の強風と叩きつける雨に悩まされた。台風28号が関東に接近していたためである。

そのときドライバーを務めた津々見 友彦さんは、「2時間半ずつステアリングを握るんだけど、夜は眠くて大変だったよ。
津々見友彦×TOYOTA 2000GTずっと同じペースで走るから、レースより集中力が必要だし、休めない。ミリ単位でアクセルを調整しながら走り続けるし、夜はカエルが飛び出してくるから本当に疲れたね。2000GTは育ちがレースカーだからエンジンはパワフルだったし、高速安定性も群を抜いてよかった。スタビリティ、ハンドリングともに当時の日本車のなかでは飛びぬけてよかったと思いますよ」と、トライアル当時を熱っぽく語る。

さまざまな難局を乗り切り、トヨタ2000GTはフォード『コメット』の持つ72時間の世界記録を達成した。記録は206.02km/hだ。その後も走り続け、1万マイル走行時に206.18km/hの新記録を打ち立てている。トヨタ2000GTは世界記録3つとEクラスの国際記録13を更新した。
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