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インタビュー/コラム:企業人
[an error occurred while processing this directive] 【トップインタビュー】クルマづくりの根源は「走り」---富士重工業 竹中恭二社長(後編)
――ところで、GMは現在、富士重工の全株式の20%を持っていますが、将来、GMの持ち株比率が20%以上になる可能性はありますか。

竹中 20%というのは非常に適切な数字だと理解しています。33%とか49%になってきますと、資本の論理が出てきますが、20%というのは、私たちにとっては自主独立経営を維持できますし、GMにとってはわが社が連結決算の対象となって、GMグループのシェアとして換算できます。両社にメリットがある数字です。ただ、この20%という数字を今後とも維持するには、経営の強化、『AWD』の技術の向上をしていくことがポイントだと思っています。それによって、GMグループの中で私たちの存在意義を明確に出し続けていくことが必要ですね。

――GMとの資本提携に踏み切ったのは、燃料電池などの環境技術への対応が、富士重工単独では難しいと考えたからですか。

竹中 それに尽きますね。燃料電池の開発は、単純に技術を積み上げればいいというものではなく、大きく言えばインフラにも影響するような、きわめてスケールの大きい開発になります。とてもわが社のみで投資がまかなえるものではありません。GMといえども単独での燃料電池の開発は難しく、トヨタ自動車と共同で開発しようとしているくらいですからね。ただ、燃料電池を構成するものの中でも、燃料電池を使ってどんなクルマができるのか、というような応用の部分には私たちのノウハウで貢献できます。燃料電池そのもののパワー源はGMに任せますが、同じ燃料電池車でもある部分は私たちが担当したいと思っています。

――それをやらないと、将来、燃料電池車が主流となったとき、GMグループ内での富士重工の存在意義がなくなりますよね。

竹中 そのとおりですし、そこはきちんと押さえます。

――GMを資本提携相手に選んだのは田中毅前社長(現会長)だったわけですが、なぜGMだったのですか。

竹中 私たちのもっている独自技術を資本提携相手が認め、私たちの自主独立経営を相手が尊重するか否かが選択の尺度だった、と田中会長からは聞いています。この尺度に基づいて、GMを選んだわけですが、資本提携後も、この選択は間違っていなかったと実感しています。

――GMというのは、札束で横っ面を引っぱたきながら会社を大きくしてきましたが、それが今では、資本提携相手の自主性をいちばん尊重する企業に変身しましたね。

竹中 GMには地域にいかに浸透して、密着していくか、という基本方針があるからでしょうね。日本GMが業界団体である日本自動車工業会(自工会)に加盟したいと希望していますね。たぶん日本GMが自工会に入っても、大きなメリットはないですよ。自工会へのスタッフの派遣だけでも、日本GMにとっては大変な負担です。わが社だけでも、延べ2〜300人は自工会にスタッフを送り込んでいます。日本GMは全社員が150人しかいませんから、どうするのだろうと思ってしまう。でも、GMは、日本GMが日本のマーケットの中に定着しようという思いが強いんでしょうね。悪いことではないですよ。

――竹中さんは社長就任と同時に、昨年発表した中期経営計画を見直した新5カ年計画「01ローリングプラン」を発表しました。2006年3月期までに、連結売上高を30%拡大し、品質・コスト・生産性を30%改善するというものですが、かなり高い目標に思えますが。

竹中 ええ、右肩上がりの時代ではありませんので、かなり高い目標です。でも、30%売り上げ増の中の約15%はGMとのアライアンスの中で得られる成果という捉え方をしています。残りの15%は、従来からの商品展開とか、改善によるものです。それにアメリカでは、2005年にむけてGMとの共同開発車を作り、販売増につなげます。欧州でのGMとの共同事業はまだ具体的な形が見えていませんが、議論は始まっています。欧州の現状を踏まえても、連結での売上高30%増という数字はそう難しいとは思いません。

――宇宙航空分野については今後も続けていくのですか。一部には撤退するとの見方もありますが。

竹中 私たちの生まれそのものは大正6年創業の中島飛行機という伝統をもった企業です。航空技術と自動車技術との直接の接点は薄くても、モノの考え方、あるいはお互いの技術のモチベーション向上などが図られますので、私としては(宇宙航空分野は)核としてこれからも展開していきます。撤退などは爪の垢ほども考えていません。

《写真=菊地 慶》

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