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インタビュー/コラム:企業人 |
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――スバルというブランドネームがかなり浸透しているので、富士重工業という社名をスバルに変えるのではないかとの見方がありますが、宇宙航空分野を継続するとなると、社名変更は難しいのですね。
竹中 富士重工という社名を47年間も使い続けているわけで、愛着もありますからね。ただ、21世紀の新しい企業イメージを考えたときには、ブランドネームを社名にするという視点で、一度議論をさせてもいいと思っています。十数年前に一度議論していますが、その頃とは時代も変わっていますので、いまもう一度議論する必要はあると思います。
――宇宙航空分野というのは世間の人たちに見えない部分であって、やはり一般の人のイメージとしてはスバルの方が認知度が高いと感じますね。
竹中 そのあたりがヒントです。お客さまあってのブランドですから、お客さまの立場に立って考えなくてはなりません。
――そのスバルブランドですが、リコール問題、航空宇宙分野の事件など御社にとって厳しい状況が続いても大きなダメージを受けない強力なブランドですね。
竹中 ブランドというのは、やはりすべての基本は商品がスタートであって、お客さまに支持される商品があるかどうかということ。私たちの作っているスバルの商品はこういうもので、こういう思想をもって、こういう方向なのですということをお客さまに伝わっていれば、いくつかの経営的な危機があったとしても、対応するしっかりした経営姿勢があれば、別の問題になると考えます。それがあいまいな商品を作っていると荒波の中に隠れてしまうというようなことが起きるのではないでしょうか。
――では、今後スバルブランドをどう育てていくおつもりでしょうか。またスバルには、水平対向エンジン、ターボ、CVTの技術もありますが、将来的には先ほど言われたように『AWD』技術に集約していくのでしょうか。
竹中 私は一貫してクルマの根源は“走り”であって、つまり乗っているお客さまの“自由”、人間の能力を超えるという意味での“走り”であると思います。ただし、それは環境とか安全での責任を果たした上での“自由”です。そのことを私たちのクルマづくりの基本にしています。その手段として水平対向と『AWD』が最高の技術であり、CVTも走りのアイテムという考え方で、私たちの走りの方向性に向いているわけで、現状ではそれらが最高のものだと理解しています。とはいえ、燃料電池車が出てきたときに“水平対向燃料電池”なんていうのはありえないわけです。ただし、どういう商品を作るかという哲学部分については、燃料電池が来たとしても変わらないと思います。
――以前のモーターショーでは、『アマデウス』『エクシーガ』など『レガシィ』より大きなモデルを提案していましたが、今後レガシィより上のクラスのクルマをラインナップに加える考えはありますか。
竹中 先ほど申し上げた、2005年をターゲットにした、GMとの共同開発車を新しいセグメントにしていこうと思っています。私たちはクラスで商品を区切らず、レガシィはレガシィの性格、フォレスターはフォレスターの性格、インプレッサはインプレッサの性格と、そこに流れていくのが商品体系であり、上級車、中級車、大衆車という捉え方はしません。まったく新しいコンセプトのクルマを、保有技術の中で作っていきます。
――竹中さんの商品に対する情熱が伝わってきますが、竹中さんが社長になって商品企画経験者4名、技術屋さん3名の役員起用を決めましたね。
竹中 GMとの資本提携で経営基盤は固まりました。これからは商品を軸とした攻めの経営に転じます。そのための役員の布陣です。
――WRCを中心としたモータースポーツは今後も積極的に取り組みますか。
竹中 モータースポーツは自動車の持っている楽しさを表現する場ですので、私たちが自動車の楽しさを追求するクルマづくりをやっている限りは積極的に関わります。
――富士重工の社長はこれまで、日産自動車と日本興業銀行から派遣された人が就いてきた。竹中さんは初のプロパー出身社長だけに社内の期待も大きいと思いますが。
竹中 これまでは日産や興銀で十分なリーダーシップと経験を持った方に社長に来ていただき従業員はその方に信頼してついていけばよかった。でも、これからはそれではダメです。従業員のひとりひとりがスバルはどこに行こうか、どこに行くべきかということを自分で考えて、みんなでそこに向かうということをしないダメです。その先頭に私が立って、しっかりやれば良いと思っています。
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1969年、大阪市立大学工学部を卒業と同時に富士重工業に入社。1988年に商品企画室担当部長。1995年、スバル開発本部主管を務めた後に、1999年に執行役員 スバル開発本部商品企画室副室長兼主管・SV開発部長に就任。2000年に執行役員 総合企画本部副本部長兼アライアンス推進室長を経て、2001年6月に代表取締役社長兼執行役員に就任した。 |
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経済誌編集長を経てフリー経済ジャーナリストへ。「週刊文春」「週刊現代」「週刊朝日」「プレジデント」などの雑誌や、「ニュースジャパン」(フジTV)で活躍。著書に「トヨタ創意くふう提案活動」「自動車大ビッグバン」などがある。 |
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