[an error occurred while processing this directive]
[an error occurred while processing this directive]
[an error occurred while processing this directive] [an error occurred while processing this directive] [an error occurred while processing this directive]

インタビュー/コラム:企業人
[an error occurred while processing this directive] 【安田有三トップインタビュー Vol. 3(前編)】激白、リバイバルプランの舞台裏---日産 塙会長

●本当の意味でのグローバル化

――11月20日に発表された2000年度の中間決算は、連結、単独ともに前年度中間期よりも大幅に改善され、業績が急回復したことを如実に物語っていましたね。今年4月からスタートした日産自動車再生のための3カ年計画である「リバイバルプラン」の成果が、わずか半年で出たことになります。「リバイバルプラン」の策定者である、カルロス・ゴーン社長(COO=最高執行責任者)の手腕が高く評価されるのも当然のことだと思われますが、私は実は、日産の業績を急回復させた大の立役者は会長(CEO=最高経営責任者)である塙(義一)さんだと思っています。

 いえいえ。

――話を1998年5月に遡らせてもらいます。ドイツの週刊誌『シュピーゲル』が、ダイムラー・ベンツ社(現ダイムラー・クライスラー)が日産系列のトラックメーカーである日産ディーゼル工業(以下日デ)への資本参加を検討しているとスッパ抜いたのが1998年5月。その後、ダイムラーと日産との交渉は日デのみならず、日産を含めた 「包括提携交渉」 に拡大しました。さらに、1998年6月には、ルノーとの提携交渉も開始しました。結果的に日産は資本提携関係を1999年3月27日に結んだのですが、外資との提携で日産を再生させることを、塙さんは当時社長として決断した。なぜですか。

 要するに、日産が将来的に単独で生き残れるのか、という不安をもっていたからなんです。日産がこれまで培ってきたノウハウ、技術、キャリアだけで、これからグローバルな戦いで勝ち残っていけるのか、という不安ですね。日産は日本の自動車メーカーの中では、早くから海外での事業に取り組んでいたので 「国際派」 といわれていました。でもね、それは日本でやっていることを外国で実行するだけで、外国のいい所を取り込んで、日産がそれを活用するということをやってきてなかったんです。事業展開だけを見れば確かにグローバル化したけれども、やっていることはグローバル化ではなかった。日産がグローバルな競争で勝ち残っていくには、外国自動車メーカーのいい所を取り込んで、本当の意味のグローバル化をしなければダメだと、これはだいぶ前から思っていたんです。そのためには外資と組むことだと考えたわけです。

――当時、日産にとっての最大の不安要素は多額の不良債権を抱えた日デですよね。日デを日産から切り離せば、日産は単独での生き残りが可能だったんじゃないですか。

 短期的にはそうだったかもしれません。

※ 日産は単独で生き残るために、日デを切り離すことをメインバンクである富士銀行などに相談した。だが銀行は、日デは多額の不良債権を抱えており、日産が日デを切り離すことで、「日デ倒産」という最悪の事態を迎えた場合、銀行が大きな被害を受ける。そのため、日デの切り離しに強く反対した。銀行は、日産が日デの切り離しを強行するなら、銀行が行っている日産系列販売会社への融資をすべて引き揚げるとの強硬姿勢を見せた。銀行を説得する道は残されていたが、日産はそれを断念。外資との資本提携による生き残りを選択したのである。

――短期的には日デを切り離すことで単独の生き残りは可能でも、長期的には難しいという判断で、外資との資本提携で生き残る方法を選んだわけですね。

 そうですね。自動車メーカー同士の競争の勝つか負けるかを左右するといわれている燃料電池・電気自動車をはじめとする環境技術開発には莫大な投資が必要です。しかも環境技術には、燃料電池ばかりではなく、ハイブリッドだ、CNGだと、いろいろなものがある。これらの開発を一社だけで全部やるのはどこの自動車メーカーもたいへんだと思うんです。でも、どこかの自動車メーカーと分担してやるといっても、お互いが資本提携関係も含めてなんの提携関係もなければ、環境技術で手を結ぼうといってもうまくいかない。やはり何らかの提携関係が必要なんです。先ほど申し上げた、日産を本当の意味でグローバル化するとともに、このことも外資との資本提携に踏み切る要因として挙げることができます。

《写真=井手孝高》

次のページへ
Page: 1 of 2 
Page 1 of 2 Page 2 of 2

安田有三トップインタビュー Vol. 3(後編)へ >>


<関連記事>
【シリーズ:安田有三トップインタビュー】
日本経団連 奥田碩会長(2002年8月)
富士重工業 竹中恭二社長(2001年8月)
三菱 園部社長+エクロート副社長(2001年4月)
ダイハツ工業 山田隆哉社長(2001年3月)
日野自動車 湯浅浩社長(2001年3月)
三菱ふそうトラック・バスカンパニー 村田有造社長(2001年2月)
いすゞ自動車 井田義則社長(2001年2月)
スズキ株式会社 戸田昌男社長(2001年1月)
日産自動車 塙 義一会長(2000年12月)
トヨタ自動車 張 富士夫社長(2000年11月)
いすゞ自動車 稲生 武社長(2000年7月)
『デイリーニュースランキング』の登録はこちら
auto-ASCIIトップページへ
[an error occurred while processing this directive]  
[an error occurred while processing this directive]