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インタビュー/コラム:企業人


●この役割が終われば、その場で辞める

――塙さんは最終的にはルノーとの資本提携の道を選択し、ゴーンさんが日産にやってきて、村山工場の閉鎖をはじめとする「リバイバルプラン」を打ち出し、大リストラを開始しました。「リバイバルプラン」はこれまでの日産のありかたを全否定するものでしたね。それに対する、日産の役員、従業員、OB、関係会社の人たちの反発は相当強かったんじゃないですか。

 そうですね。

――そうした不満を塙さんにぶつけて、なんとかしてもらおうという働きかけもずいぶんあったんでしょうね。

 たくさんありましたね。だけど(ゴーン氏のやろうとしていることの意味を)そういう場で説明するのが私の役割ですからね。そうすることが(ゴーン氏への)最大のサポートになるわけです。彼(ゴーン氏)が考えていることが全部わかっているわけではないけれど、私の(ゴーン氏の)考えは同じだ、と働きかけてきた人たちにいわないと、サポートになりませんからね。いっしょに日産のために働いてきた人たちからの話ですから、私には訴えてくる人たちの気持ちがわかりやすい。だからといって、そうだそうだと私がいったら、(リバイバルプランは)進みませんからね。


――そこで、塙さんはゴーンさんに一切口出ししなかった?

 一切というといいすぎかな。表立ったところでは彼(ゴーン氏)のやり方に口を挟むことはしませんでした。ただ、ゴーンと月に2回ぐらい、2人でじっくり話し合う機会があるので、その場ではアドバイスもしました。だけど、彼は改革者として日産に来たわけで、私のやりかたを基本的に否定しなければ、改革にならない。私が私の考えをあまり主張すると、トップ2人の違う意見が社内にできて、従業員は混乱するんですよ。日産はかつて2人のトップの意見が一致せず、ひどい経験をしました。

――石原俊さんが社長のとき、労働組合のボスだった塩路一郎さんと激しく対立したときなどはそうですね。

 ええ。ですから、(塙氏とゴーン氏で)際立ったふたつの系統ができないように、私が気をつけてきました。

――塙さんが表立ってゴーン氏のやり方に口出ししなかった真意が誤解され、「リバイバルプラン」という痛みを伴う改革が実行されると、日産社内や関係会社から塙さんの責任を問う声があがってきました。塙さんはなぜ、責任をとって社長を辞めないのか。ゴーン氏が社長になったとき、なぜ会長になったのかと、手厳しい批判もありました。なぜ、社長あるいは会長にとどまったのですか。

 辞めて済むものだったら、辞めることにやぶさかではありません。ただね、まだ私の役割が終わっていないと思ったから、いるわけなんです。日産とルノーの資本提携による相乗効果をどう出していくかという役割です。この役割が終われば、その場で辞めるつもりです。

――一般的に、経営者は自らの在任中、大きな問題を起こさず、そこそこの実績を残して後継者にバトンタッチする傾向が強いと思います。塙さんも、社長在任中、日デを切り離して自主再建する道を選択していれば、社長としてつつがなく過ごせたはずです。だが、塙さんは日産を 「健康体」 にするという問題を後継者に先送りにせず、ルノーと資本提携し、痛みを伴う改革を行い、経営者としての責任まで追及された。社長として、なぜ厳しい道を選択したのですか。

 もうそういう時代だったんじゃないでしょうか。バブル経済の頂点に行くまで、誰もが日本型経済は素晴らしいと思っていましたね。でも、実は1985年のプラザ合意ができたときから、これからはアメリカの傘の下でぬくぬくとやっていくことはできない、と私は思っていました。日産にも外国の企業と手を組んで、新しい血を入れ、自分たちの考えを根本から見直す必要があると、プラザ合意のときに真剣に考えていました。だけどバブルが来て、そういうことは誰も考えなくなってしまった。日産が 「健康体」 を取り戻さなければならなくなって、そのときが私が社長だったんで、プラザ合意のときに考えていたことを実行したんです。

――「リバイバルプラン」実施後、わずか半年で日産が業績を急回復させた立役者は、やはり塙さんだったということが、これまでうかがった話でよくわかりました。

 いやいや、実行したのはゴーンですよ(笑)

34年3月16日生まれ。57年日産自動車入社し、81年、米国工場開設準備室次長に就任。その後、常務取締役、第一海外本部長、北米日産会社社長、米国日産自動車会社会長を経て、91年、海外部門統括代表取締役副社長となる。96年、代表取締役社長就任。99年、社長としてルノーとの提携をまとめ、同年の東京モーターショーで「リバイバルプラン」を発表する。2000年6月、取締役会長就任。現在に至る。

経済誌編集長を経てフリー経済ジャーナリストへ。「週刊文春」「週刊現代」「週刊朝日」「プレジデント」などの雑誌や、「ニュースジャパン」(フジTV)で活躍。著書に「トヨタ創意くふう提案活動」「自動車大ビッグバン」などがある。

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