『フェアレディZ』はモータースポーツの世界でもセンセーションを巻き起こした。サーキットデビューは1970年1月の鈴鹿300kmレース。決勝レースではリタイアを喫したが、予選ではZ432Rが常勝『スカイラインGT-R』より1.8秒も速いタイムを叩き出している。群を抜く速さを見せつけたZ432Rは4月の「レース・ド・ニッポン6時間レース」で初優勝を飾り、その後は柳田 春人や桑島 正美など、若手プライベーターに託され、勝利を重ねている。
Z432Rに続くレーシングZが240Zだ。日産ワークスは7月の富士1000kmレースに、海外向けの240Zを参戦させ、見事240Zはデビューウィンを果たした。ほどなく240Zはプライベート勢にも放出されたが、一気に頭角を現したのが柳田 春人だ。 |
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豪雨の富士グラン300マイルレースを激走する240ZG。『Zの柳田』の異名を不動のものにした。写真協力=三栄書房 |
富士グランチャンピオン(GC)シリーズの創成期に純レーシングカーを相手に互角の戦いを挑んでいる。71年は雨に見舞われた第2戦と第4戦で総合3位の偉業を達成したほどだ。
圧巻はフロントノーズを延ばした240ZGが登場する72年の富士GCレースである。雨の開幕戦では7リッターV8エンジンを積む2台の『マクラーレンM12』に続く総合3位となり、クラス優勝を飾っている。さらに6月の第2戦、富士グラン300マイルレースでは豪雨のなか、徐々にポジションを上げ、ついには総合優勝をさらってしまった。「Zの柳田」と呼ばれていたが、このころから『雨の柳田』の異名を取るようになる。 |
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当時を振り返って柳田氏は「いろいろなマシンに乗ったけど、Zのイメージが一番強いようだね。最初はじゃじゃ馬で乗りこなすのが大変でしたよ。Zを乗りこなすことができれば何でも乗れるよ、っていわれていたからね。Z432はエンジンが重く、振動も大きかった。これに対し240Zは鼻が軽く、L24型直列6気筒エンジンはトルクも太いから神経を使わずにレースができたんだ。あの"Gノーズ"は、直線で7km/hも最高速がアップするほど空力性能がよかった」と、その魅力を述べている。 |
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