川端 ハイブリッドという考え方は、電気自動車の開発チームが発想したことなのでしょうか?
朝倉 実は、トヨタ自動車のハイブリッド研究の始めは1969年にさかのぼります。先進技術研究の一環として、ガスタービン・エンジンを研究開発する過程で、ハイブリッドへと進展していきました。
ガスタービンは多様な燃料を使えるとても便利な機関ですが、ガソリンエンジンのようにアクセルを踏んだり離したりと、負荷が変わる運転には適していません。そこで、ガスタービンを一定の負荷で運転する車載の発電機として使用し、その発電で得た電気をバッテリーに貯めて、モーターで走るクルマをつくろうと考えたのが、ハイブリッド研究のはじまりでした。
当時、電気系に関する技術は自動車用途にはまだ未熟だったことから、いったんは断念したのですが、1990年代に入ってカリフォルニア州のZEV規制への対応が大きな課題となってき、再び電気自動車やハイブリッドが注目されました。ちょうどその頃、交流モーター、電池、インバーター、パワートランジスタといった要素技術の用途も発展してきており、ハイブリッドも含めて電気で駆動する自動車が現実味を帯びてきたのです。
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川端 ガスタービン技術までとは、とても幅広く研究されてますね。もちろん、そうした研究開発への姿勢がハイブリッド開発の礎となったともいえます。
朝倉 従来の延長線上にない技術開発まで幅広く手がけていたおかげで、燃費を2倍にアップすることが理論的には不可能でないことがわかりました。まだ技術が確立していないとしても、ハイブリッドに可能性があるならば諦めずに開発しようと、エンジニアが一致団結したのです。
ただ、難しいのはここからでした。エンジンとモーターという、まったく異なる性格の動力源を併用してひとつの制御で束ねなくてはならないからです。動力分割システムを使って、発電機とモーターを直列に配列して、遊星ギヤを組み合わせることによって動力を分割する、そうした複雑な機構を実現するために、エンジニアが重ねた努力は並大抵ではありませんでした。一方で、いままで知らなかったことを知り、自己研鑽を重ねるということは、エンジニアにとって無上の喜びでもありました。
川端 初代プリウスのエポックメーキングな技術を開発したエンジニアの努力に加えて、経営側の努力も大きいのではないかと思ってます。
朝倉 そうですね。私は、1996年に開催された「EVS13(国際電気自動車シンポジウム)」で、豊田章一郎さん(現:トヨタ自動車 名誉会長)が21世紀のクルマづくりに対する思いを伝えたスピーチに感銘を受けました。そのなかで、「サステイナブル・モビリティ」をキーワードに、エネルギーの多様化とあわせて、電気モーターを使って走るクルマの発展を強く謳っていました。
つまり、トヨタ自動車には、単に自動車をつくって販売するだけではなく、「人類が生み出した利器である自動車をつくり社会に貢献する」という思想が根底にあって、経営陣は当初より幅広い視野で「ハイブリッドの普及がその思想の実現に繋がる」と考えていたのです。
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