THS クロニクル プリウスの産みの親が語るTHSの10年間、そして、つぎの10年間 THS クロニクル プリウスの産みの親が語るTHSの10年間、そして、つぎの10年間
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KEY-PERSON INTERVIEW
アポロ計画などをヒントにした開発手法 < TOP  1 2 3 4 5  NEXT >
内山田竹志氏 ――ところが、翌年になって当時の奥田碩社長(現取締役相談役)から前倒しの指示が出ます。

内山田 奥田さんからは97年中に出せということでした。他社も開発しているのはわかっていましたし、開発陣としても1番乗りしたいという思いは強かったのですが……。

――まったく新しいシステムのクルマを出すのに、あと3年弱。プロジェクトを率いるチーフとして無責任には承諾できませんよね。

内山田 ですから奥田さんとは相当やりました(笑)。最後の合意は、マイルストーンをいくつか設け、そのときどきに97年末に出せるかどうかを判断するという方法でした。

トヨタにとって、仮にこのクルマが遅れても、ただちに経営計画に影響を与えるものではない。一方で技術や品質に不確かなものは絶対出せない。ですから開発の進捗をその都度確認して、発売日を押さえていくというやり方です。

当初は97年中にできるかどうか確信はもてなかったですね。トップが97年にというからやろうというのでは、開発チームの誰もついてきません。そんなとき、“自分たちはできる”と思えるようなよりどころをふたつ思い出しました。ひとつは、アメリカのケネディ大統領が打ち出したアポロ計画。開発に必要な技術を要素ごとに分け、それぞれが期限までに完成するとういう前提で、開発を同時並行して進める手法であり、参考になりました。

もうひとつは、終戦間近に完成した日本の「秋水」というロケット戦闘機が、わずか1年で開発から量産までこぎ着けていたということでした。つまり、「分散開発」と「集中力」で挑戦しようとチームでは訴えました。
池原照雄氏――トップとの公約どおり、97年に「21世紀に間にあいました」というコピーで初代プリウスが登場します。開発の過程で内山田さんがもっとも腐心したところは?

内山田 バッテリー、インバーター、半導体といった従来のクルマにない部品が沢山あるわけですから、原価の展望がなかなか見えませんでした。部品メーカーさんも未知の分野ですから「ご安心ください、そのうち安くなります」とは言えないわけです。

社内ではもっと大きいクルマにすると、原価の面でも部品のレイアウトの面でも楽になるという声もありましたが、わたしは「イヤだ」と。21世紀に普及させたい技術なので、あくまでも市場のボリュームゾーンのクルマで挑戦しなければ意味がありません。

コストもさることながら、わたしが一番留意したのは、耐久性・信頼性でした。開発の仕事の8割から9割は信頼性の確保だというのが、いまでも持論です。実際の保証期間は別として、バッテリーの交換なしで10年・20万kmもつというのを開発目標にしました。

ところが、時間を短縮して耐久性を確認するための試験機など、もちろんどこにもありません。それでも若手のメンバーが頑張って自作し、実験を進めました。当時はハイブリッド車の開発とその生産方法の開発と、耐久テストの開発を同時並行に進めていたのです。10年目となった今でも、走行距離が10万kmを上回る初代のクルマが相当数走っているというのは感慨があります。
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