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[カーマルチメディア・インサイダー]
クルマの一部をつくっている
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今井 武
いまや伝説となっている第2期ホンダF1.........
シンプルなナビに不満が爆発
――インターナビ自体がスタートしたのは1998年、プレミアムクラブは2002年10月にスタートしました。発表が'02年の8月下旬ですからもうすぐ2年です。

その間、インターナビプレミアムクラブはハードとソフトの両方で物凄いスピードで進化したように思います。ハード面では'03年9月にインターナビプレミアムクラブ対応のハードディスクドライブ(HDD)カーナビが純正カーナビに用意され、新型オデッセイにも設定されました。

ソフト面では、プレミアムクラブ会員のクルマが持つ走行情報を集めて渋滞情報にする「プレミアムメンバーズVICS」と、インターナビメンバーズVICSに「渋滞予測」機能がつきました。どちらも世界初で、今のところホンダにしかないサービスです。

今回はホンダのテレマティクスが、なぜこうも先進技術やサービスを矢継ぎ早に繰り出せるのか。インターナビプレミアムクラブの狙いとあわせて、その辺のところを明らかにしていきたいと思います。

まず、いきなりハードの話で恐縮ですが、昨年の"ホンダ純正HDDカーナビ"には驚かされましたので、ここからはじめたいと思います。

'01年、パイオニアが市販初のHDDカーナビを発売し、その後、市販カーナビの世界ではHDD搭載が一気に進みました。しかし、純正カーナビの開発は市販より時間がかかるはずです。これほど早い段階で投入できたのはなぜでしょうか。

今井 実は世界初のHDDカーナビはホンダから出ているのですよ。'96年にアメリカ市場向けレジェンドの純正カーナビに、PCMCIA TIPE III規格に準拠した180MBのHDDを使いました。私はこの時、レジェンド向けHDDカーナビの開発をしていました。

――180MBというと当時主流だったCD-ROM(640MB)より容量が少ないわけですが。

今井 そうなんです。だから州を超えて移動する時はアップデートセンターというリアルな店舗に立ち寄って地図の書き換えをしなければならなかった。我々が重視したのはHDDのレスポンスなんです。アメリカは複雑なジャンクションを持つフリーウェイが多いのですが、ここでのナビゲーション処理が(当時の)CD-ROMの読み取り速度では間に合わなかった。また当時、アメリカはパソコンブームの最中で、HDD搭載はハイテクイメージがあってよかったという面もありました。

――その後、レジェンドから始まったHDDカーナビは続かなかったのですか。

今井 それがですね、TYPE III規格のHDDそのものがPCの世界で普及せず、最後にはシンガポールに25mの生産ラインひとつしかないという状況になってしまった。その後、DVD-ROMが登場し、1枚のディスクに全米の地図が収められるようになりました。レスポンスの問題もカーナビのCPU速度向上やドライブの倍速化でクリアーして、当時のHDDの必要性は失われてしまった。私もレジェンド向けHDDカーナビを見たあと、インターナビの原案を役員に提出してプロジェクトが動き出し、インターナビの立ち上げを始めました。

――それはいつ頃ですか。

今井 レジェンド向けHDDカーナビの開発が終わってからですから、'95年の12月です。この原案に、情報センターを作って通信経由でサービスを行う、地図の書き換えサービス、旬なライブ情報をカーナビ向けに提供するといった今のインターナビの原型がありました。

---- そこにHDDカーナビの構想は入っていたのですか。また提案は今井さん個人で行ったのでしょうか。

今井 HDDカーナビは入っていないですね。ただ、ネットを使っての地図の書き換えは入っていました。提案はホンダの場合はほとんどが個人発なのですが、すぐに栃木研究所電子電装開発ブロックで4〜5人のチームを作りました。

---- インターナビの原案で、インターナビプレミアムクラブのコアになっているVICS渋滞情報の補完はあったのでしょうか。

今井 この時はまだ渋滞情報をどうするかはなかったですね。そちらはVICSにまかせて、お客様に購入していただいた後に地図が古くなるのをどうしようか、というのが中心でした。あと旬な情報を送りたいよね、とか雑誌感覚の部分ですね。実際、当時から『ぴあ』とは話し合っていました。

---- いったん水面下に潜ったHDDカーナビが、インターナビプレミアムクラブと融合して再登場したのが'03年。ここに至るまでどのような経緯があったのでしょうか。

今井 我々は'83年に世界初のカーナビ『ジャイロケーター』を世に出してから、カーナビは自社開発という考えがありました。そしてカーメーカーのナビはシンプルでいいんじゃないかという発想がありました。しかし、この路線にお客様の不満が爆発したのですね。4年前からホンダの純正ナビは売れなくなった。そこで市販カーナビ以上のものを(ホンダ純正ナビとして)出さなければならないとマインドが変わりました。

その最初のモデルが、'02年のアコード向けDVDカーナビなんです。それからすぐにパイオニアの(HDDカーナビ)サイバーナビを勉強して、うちのカーナビ開発部隊もHDDをもう一度やろう、という話になりました。また(HDDカーナビ開発開始)直後に'02年10月から開発がスタートしたフローティングカーシステム『プレミアムメンバーズVICS』のシステムも盛りこむ事を決めました。
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インタビュアー:神尾寿
写真:長野浩之
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